【映画コラム】数学的な見地から戦艦の建造や構造を描いた『アルキメデスの大戦』

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これ漫画で読んでいた。作者が三田紀房であって視点の面白さがあった。戦争をこういう切り口のフィクションにするのも斬新だった。

 

歴史への介入を作中で行った場合、つまり、その当時を舞台とする物語を書いた場合という意味だが、その後の史実が変わるパターンと変わらないパターンがある。

 

例えば、後世世界を描いた旭日の艦隊などは、史実は変えないが、異なる結果に正統性を持たせるために、マルチバースの世界を持ち出した。そうすれば、幾らでも楽しい兵器が登場させられる。

 

アルキメデスの大戦は、もちろん現在から俯瞰したご都合主義と、作中人物の超人性に説得力を持たせた世界観で成り立っている。当時も戦艦なぞ役に立たないと主張する軍人はいたし、戦艦大和を作ったから戦争を始めたのだと主張する歴史家もいる。

 

もしあの軍艦を持たなければ、最初から勝ち目などなかった。ならば戦争に賭けるという死中に活を求めるような選択をしなかったであろう、そうならば戦争へと突き進むこともなかったであろう、という主張だ。

 

アルキメデスの大戦もこの考えを敷衍しているようで、このような戦艦を作ることは国を滅ぼすに等しいという観点から、海軍内部の争いを描く。その闘争の場が、政治でも、権力でもなく、兵器の開発という舞台がユニークである。特に技術革新の激しい時代だったから、後世の視点を織り交ぜると更にエッジが効いてくる。

 

戦艦建造計画を潰す、の次に、航空戦力の充実など、歴史のIFのなぞりながら作品は進んでゆく。まだ史実とはそう遠くないようだが、この先がどうなるかは知らない。敵対する古い考えに染まった軍人たち、組織としての強さが、超人を打ち倒すか、それとも、それを乗り越えて別の歴史を作るか、その辺りが物語の結末となろうか。

 

が、結論として、技術的優位でアメリカに勝てるはずがなく、なぜなら技術を生かすにはエネルギーが必要であって、その供給量で日本は絶対にアメリカに勝てない。どのような最新兵器を投入しても、一時的には優位に立てるとしても、最終的には太刀打ちできないはずである。

 

辻政信(愚将の一人)の最近発見された手記で「日本一国でこの戦争に勝てると信じた人たちは、世界が数個の連合国家集団に向かいつつあるの大勢さえ見透かし得ず」と語ったように、日本の最大の失敗は孤立したことであった。国際連盟の脱退、アメリカとの敵対、など現在のイランにとても近しい。中国大陸の利権を独り占めしようとしたからアメリカと対立した。それが日本の敗因であろう。アメリカと手を組くべきだったのだ。

 

孤立すれば資源の供給量が減る、ではどうするか、奪えばいいのであるとばかりに海外に出て行ったが、その程度で、世界相手に戦えるはずがない。この漫画は数学を全面に出して数の説得力(読者に対する)で作品を引っ張る。しかし、その結果、どのように振る舞うかは、別の思惑や動きがあって、この状況にどう立ち振る舞うか、作品の核にあるのはゲーム理論である。

 

このまま読み続けてもだらだら続くだけだと感じて、途中で読むのは止めた。結局、何をどう引っ繰り返しても、あの戦争は負けるしかない。結局、どう引っ繰り返しても、三田紀房の作品は、少し面白いを超える事はない。

 

マンガのひとつの類型は、美味しんぼにある。この漫画は、食べ物を扱いながら、作中でやっている事は、情報を情報で上書きするという快感である。古い情報を新しい情報で刷新する快楽、そういう構成のストーリーは、一種の啓蒙になるし、別の味方をすれば教育である。ある意味、これらの作品は良く出来た教科書なのだ。

 

この作品も、それを面白く読ませるという手法、手続きに長けている。逆に言えば、面白さの本質は、教科書を超える事ができない、という事でもある。本質が知識の羅列に過ぎないため、時間が経過して膾炙してしまえば、魅力が次第に色褪せてゆく。面白くないわけではない、だけど、そこまで言うほど面白い訳でもない、という教科書的な評価に落ち着く。