ウクライナ大統領「全土に戦時体制を導入」国民に自宅待機を呼びかけ

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ウクライナ・ロシア戦争には3つの視点がある。必要に応じて更に加えるべきでもある。その3つは a) ロシアの視点、 b) ウクライナの視点、 c) EUの視点である。それ以上の視点の要請は拡張としてある。

 

ロシアの視点を簡単に例えるならば「満蒙は日本の生命線である」に等しい。ロシアの国境線を眺めれば、フィンランドエストニアラトビアベラルーシウクライナグルジアアゼルバイジャンカザフスタン、モンゴル、チャイナ、ノースコリア、ジャパン、アメリカである。

 

ウクライナの国境には、ポーランドスロバキアハンガリールーマニアモルドバがある。

 

このうちヨーロッパ方面は、ベラルーシウクライナを除けば全てがEU加盟国なのである。かつてはこれらはソビエトの衛星国家としてヨーロッパとロシアの間に横たわる緩衝地帯として機能していた。それがオセロのようにばたばたとひっくり返りEUに参加したのである。そこまで嫌われる理由が勿論ソビエトにはあった。

 

歴史が示すようにナポレオンは6月24日に侵攻を始めモスクワには9月には辿り着く。たった2カ月しかない。ヒットラーも6月22日には侵攻を始め、キエフには7月には到着する。10月には陥落させモスクワにも10月には攻勢をかけている。つまりキエフが落ちればモスクワは守る時間的猶予はない。

 

それを最初からヨーロッパに渡すのは難しい、これがロシアの言い分であり、それでもこれまでポーランドなど東欧がEUに加わるのをよく我慢したものだと感心する。もし自分がロシア人ならと考えれば明らかにプーチンの不安の方に賛意を表する。

 

ロシアは一度もドイツを侵略していない。近代においては二回ともヨーロッパからロシアへの侵略である。それが彼の加齢とともに強迫性の危機となって彼の脳内で動機として結晶化しても不思議はない。

 

これらの根底にヨーロッパの視点がある。彼らは倫理や宗教を持ち込み自分たちに有利な正義を押しつける。そして足場を固め、十分に相手を追い込んだ後には、合法的に略奪する。この点は歴史が証明している通りで、そこに人道だのキリスト教的だとの美辞麗句を並べても、ヨーロッパがそれ以外の地域の人々を根底から格下として扱ってきた事は間違いない。

 

個々の人が本心からそれを否定しても歴史的経緯はそれを許さないはずである。そして明らかにヨーロッパはロシアを格下として見ている。でなければエカチェリーナがあれほどヨーロッパへの憧憬と侮蔑を持たざるを得なかった理由がない。下手をしなくとも彼らにとってロシアとはアジアの国なのである。

 

この侮蔑に対してロシアは軍事的に強力になるしか対抗手段を持たなかった。この対抗手段に対して、ヨーロッパは更なる不安によって答えた。その疑心暗鬼がヨーロッパの外交技術を磨きに磨き、政治史を彩る様々な物語を紡いだのであろうが、根底は変わらない。

 

いつも大国に挟まれた国家は、その存亡に苦労する。ウクライナもまたその例外ではあるまい。日本が海に囲まれていなければ恐らく今の歴史に残っていない。大陸にある事は常に艱難であろう。故にそういう国の歴史は、支配された屈辱と独立を勝ち取る栄誉の繰り返しで構成される。おそらくその独特さは我々には分からない。韓国、北朝鮮の歴史的継続性については我々には理解しきれないものがある。

 

だが、理解できない事は知る事ができない事ではない。少しの想像を許せば、そこに我々には分からない行動原理もあれば独特の処世術もあるはずである。常に歴史の中で退く事と進む事を見極める眼力があるはずである。それがある事は想像に難くない。

 

そしてこの進行の背景にチャイナがある。この巨大な国家がオリンピックの終了までロシアを待たせたのは習近平が後ろ盾に居る明らかな状況証拠であるし、ロシアの行く末にチャイナは興味を持たないだろうが、アメリカの出方次第で台湾は陥落する。

 

冷戦時は本気で核戦争を辞さない事を持っていた。この対立が可能だったのは2勢力間の対立軸だったからだ。それ以外の参加者がいなかった。故に相手をひとつに絞って戦略を練れば良かった。

 

冷戦後にロシアは後退しチャイナが台頭した。ここで核を持つ3つの勢力の対立状況が生まれる。3は安定した政治を許さない。

 

ここで核の抑止論は変わらざる得ない。第三者の存在によって。互いを読み切るだけでは済まない。そこでは核保有国同士の戦争は起きないにしても核保有国がそうでない国家に戦争を仕向ける事を止める手段がない事に思い至る。アメリカがイラクに何の理由もなく進撃するのを誰も止められなかった。

 

ブッシュとラムズフェルドが石油の利権を狙って行った私戦であるにも係わらず。核を保有しない国は核戦争をしてまで守るに価値があるのか、この問いの前にヨーロッパもアメリカも停止する。

 

その事にプーチンは気付いていた。シリアにロシアが参戦する事さえ止める軍事的手段を持たないヨーロッパに何が出来るだろうか。ヨーロッパは核戦争と引き換えにしても非EU加盟国を守る事はない。よってウクライナEUに加盟する前しか戦争をするタイミングはなかった。

 

そしてウクライナEUに加盟すればロシアは国境にEUの軍隊を置く。過去の事例からモスクワに辿り着くのに5日もいらない。どこに喉元にナイフを突きつけらたままの外交を許容する国家があるものか。もちろん弱小国は常にその状況で外国を展開しているのである。

 

この戦争がどこまで escalation するかは分からない。プーチンはもしかしたら人類滅亡の引き金を引いたのかも知れない。戦術とは言え核戦争の可能性はある。それでも、それを避けたいからこそロシアはあれだけの地上兵力を用意したのである。

 

あれは核を使わないための周到な準備と考えるべきである。故にウクライナにもし天才的な指揮官がいて軍事的反抗を続ければ、ロシアはどこかで核の使用を検討するかも知れない。そしてもしロシアが核を使えば、ロシア人はジェノサイドされても文句は言えなくなる。

 

そこまでの覚悟があるかと言えば、ウクライナがロシアの生命線なら覚悟するだろうと思う。実際に日本もそのような覚悟でアメリカと戦争をした。その決断はアメリカと同盟するまで解消されなかった。日本の北方の脅威という問題はアメリカとの同盟によってはじめて解消したのである。

 

ロシアも同じ構造からアメリカと対立するよりも同盟の道は模索できないものか。しかし同盟するには敵が必要だ。いる。中国である。しかしロシアにとってアメリカの民主主義は受け入れられないだろう。だからロシアは中国となら組めるがアメリカとは組めない。自由も民主主義もデザインが違いすぎる。資本主義だけはその強欲さに東西の違いも人種の違いも見られないのに。

 

いずれにしろ世界は対立を欲する。全体がひとつにまとまるなど気持ち悪い話だ。それが可能なのは全体主義が世界を牛耳った場合のみである。暗黒の星である。ロシアにはロシアの言い分がある。ヨーロッパの偽善よりもそれは深刻である。だが、それはウクライナの人々が犠牲となり甘受する理由にはならない。

 

ウクライナのゼレンスキー大統領にのしかかる重圧は想像はできても理解はできまい。それでも、批判も非難も戦争を止めやしない。補給を続けるか、強力な武力を行使するしかロシアの足止めはできない。例えそれが実現できても強力な壁を前にロシアの進軍を止めただけである。ロシアの進む方向が変わった訳ではない。問題は解決しない。

 

その根本で必要なのはヨーロッパの棚卸しであろう。ヨーロッパの時代が終わりつつあるのではないか、とそんな事さえ思ってみる。その時には、資本主義も民主主義も基本的人権という思想も燃え尽くされてしまうのでだろうか。