石原慎太郎・元東京都知事が死去 89歳、運輸相などを歴任

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この人の本を読んだ記憶がある。盛田昭夫との共著『「NO」と言える日本』である、いや江藤淳との共著である『断固「NO」と言える日本』 であったか。阿川弘之との対談はあったか。『国を思うて何が悪い 』いやこれは違う。もう忘れた。

 

読んだ事がある位だから、それなりに知っていたはずである。ディーゼル車の排ガス規制を主張するのに、瓶に入った黒い煤を見せていた。市民への訴え方の巧い人だった。

 

しかし見るからにその笑い方に卑屈を感じた。相当な劣等感が奥底にあるとは見て取れた。よく考えれば石原裕次郎のような弟をもつ兄の気持ちである。分かるはずもない。

 

石原裕次郎が夭折した残りの人生はどうだったのであろう。この人のよく知る姿は威勢の良さでしかない。そこにあるものは、脇役のそれである。恐らく、映画の中で事件を起こすための役割である、そうイメージしている。

 

昭和の醸造された戦前の匂いを再獲得する最初の世代であろう。1932年生まれなのだから敗戦時には13才である。戦争を知っているはずがない。焼け野原は知っていても戦争を知っているはずがない。知っていたとしても軍国少年のそれである。

 

もちろん、戦争前の大人であっても軍国少年と変わらない程度の戦争賛成派は幾らでもいた。今の常識ではみれば戦争の本質を見極めようとする知力もなく、ただ感情と情熱のはけ口としての戦争しか夢見ていない人が幾らでもいた。

 

夢見心地で何かが実現されると感じる感性というものは誰もが持っているものである。それは極めて母性的なものであろう。その根底を探れば母親へ甘えたい情感でしかない。そういう人間があえて父性的であろうと行動するのは、心理学的には何かでありそうである。

 

この人は父性たろうとした。恐らくその背後には恐怖、不満、焦燥がある。これを満たすために掴んだものが右翼的なものであったろう。晩年が老害の見本のような人間になる。

 

戦前日本を理想とする価値観を分析すれば、江戸幕府以前には、世界と伍するという時代はない。そして戦後は敗戦という汚点がある。世界と伍する、何もない所から匹敵しえた時代は戦前しかない、そういう短絡で単純な感性で掴まなければ恐らく価値観が保てない。そういう人であると見ている。

 

だから惜しいとも哀しいとも思わない。その一方で右翼的な代表としてのモデルとしては有益な人だったと思える。代表的なモデルとして立派な人であった。この人の語る事は全て間違いくらいに考えていればいい。それで良かった。

 

東日本大震災の時、東京都の消防局のポンプ車を見送った姿がテレビに映されていた。零戦乗りたちを飛行場で見送る将軍たちの気持ちを思い返していたであろうか。その時の気持ちを読んだ事はないが、それが記憶にあるこの人の最後の姿である。

 

時代は常に変化が激しい。同じ時代を生きているのに80歳の人と20歳の人の価値観はまるで違う、と同時に80歳の人の中にも天地よりも遠く離れた価値観がある。人によって違うし、その人の中にも全く異なる価値観が梱包されている。そこに自覚的であったか、無自覚であったか。すくなくとも俳優的であろうとしたのは確からしいと思う。

 

この人の評価は歴史の中で行われればいい。いまはただ我々の歴史として眼前にある忘却の海へとただ見送るだけである。