イランとサウジが外交関係正常化で合意 中国が仲介

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イランの核開発はどの国も嫌がる。核保有プーチン一党の振る舞いを見れば分かる通り対抗するオプションを制限する。もしロシアが核保有国でなければ今頃モスクワは陥落しておりロシア兵たちみな収容所に送られているのは確実である。ロシアが各国に分割支配されていても不思議はない。

 

であるから北朝鮮が核保有を目指したのはある意味で正しい。外交を難しくする為に開発したのである。すると相手の取れるオプションが減る。対抗策としては北朝鮮の国境を封鎖し餓死か病死か凍死に追い込むしかない。如何なる国家も歴史も経済を基盤とし経済が破壊されては動けない事を示す。経済は血液に等しい。

 

しかし経済の強靭性は極めて高く、最も重要であるゆえ、そのrobustnessは多岐に渡り何重にも調整、迂回、複製する機能を備え、完全停止するまでには相当の時間が必要だし、破壊されたように見えても復活するのが常である。

 

よって完全停止は目標たりえず、弱体化が重要な目標となる。そういう意味では核兵器でさえも最終的には対象の経済を弱体化する手段のひとつに過ぎない。その方法があまりに破壊的で且つエスカレーションしやすいため多くの為政者は躊躇しているのである。

 

プーチンが開こうとする核の現実という扉が開けば核は拡散せざるえず敗北したウクライナでさえ核保有に動くだろうし機会があればモスクワで核テロを決行するだろう。あらゆる国が核の保有を目指す。

 

それを止めるにはウクライナが勝利するしかない。これはウクライナプーチン一党の戦争なんて生易しい構図ではない。これは人類が絶滅から守りたい勢力と人類を絶滅させても構わないとする勢力の戦争なのである。

 

恐らく中国はイランの核開発を懸念していない。北朝鮮の核開発にも強いアクションを起こさなかったのと同様である。それは中国を利するものではあってもアメリカを利するものではないからである。そこまではいいだろう。プーチンを支持する国としてイランと中国の結び付きに何ら不平も不満もない。

 

イランの核技術は北朝鮮から買うだろう。流石に中国は自国の核技術を拡散させる気はあるまい。しかし制限付きでの保有は認める気だろう。アメリカはそれを懸念して核の傘という方針を打ち立てた。恐らく中国はそれとは異なる考え方を持っている。数の制限がある限りはその核拡散を認めるのではないか。

 

コントロールされた制限付きの管理された核拡散は認める気ではないか。そこに深い懸念を聞いた事はない。強いアクションを感じた事もない。恐らく中国のような統治体系では、国家としての意志表明は極めて個人的な意向に左右される。誰もが虎の尾を踏まないように歩むしかない。踏むくらいなら立ち止まる方がいい。

 

親米のサウジアラビアを中国が仲介した事でイランとの外交を正常化にした背景には強い思惑があると考える。中国はそれを狙って行った筈である。そこではサウジアラビアにもアメリカとは異なるオプションを提示したと見るべきだ。サウジアラビアにも核保有を耳打ちしたのか、それで別に不思議はない。中東で核戦争が起きた所で中国は何も困りはしない、それ位を嘯いても驚きはしない。

 

しかし、核という視点でこの外交仲介を考えるべきなのかと言う疑問がある。中国がこのイニシアチブで得た利益はアメリカの影響力の弱体化という印象であって、それはトランプ大統領の新モンロー主義を見れば別に不思議は方向ではない。中国がやらなくてもアメリカが自発的に手を引く可能性も十分にある。トランプがイスラエルに働きかけたのはパレスチナの問題に興味があるからでもユダヤ人の歴史に関心があるのでもなく、たたアメリカ国内にいるユダヤ系資本を重視しただけだろう。

 

バイデン政権になって相当の見直しを模索しているし、中国との対決姿勢は鮮明に出しているが、ではアメリカは本気で中国と正面衝突する気があるのだろうか。しかも期限付きの決意である。大統領が変われば容易くウクライナを見捨てる国である。そういう政治体制なのである。これも民主主義の欠陥と呼ぶか。

 

その先の来るべき世界をアメリカは沈思黙考しているか。あの巨大な島国はある点では周囲を海に囲まれた世界と隔離された平和ボケの国なのである。

 

そのアメリカがサウジアラビアとイランの関係の変化、そこにコミットしようとする中国にどのような懸念を表明するにしても、そうであるが故にこの両国の関係に中国は着目したともいえる。

 

どのような取引があったかは知らないが、中国は相当な見返りを提示したのだと思う。それをする理由は何か、アフリカ東海岸からインドを覆う空間を、一帯一路の拠点地域であるが、この空間からアメリカのプレゼンスを追い出す事にあるのだろう。安倍晋三がインド洋に着目したのもこの中国の意図を把握していたからと思えるし、専門的な外交家は恐らく何年も前からこの戦術は候補のひとつとして挙げていたはずである。

 

しかし、直接的にいま動いていたのは何故か。これが習近平の三期目と関係していないはずがない。どういう将来的な思惑であれ、中國外交官たちがここで最優先すべきと考えたのは、習近平の就任発表に合わせて朝見するなら貢物が必要である。それを何にするか。サウジアラビアならば不満を持たれる訳がない、そういう忖度だろう。

 

中国がキリスト教はもとよりイスラム教にさえ全く興味を持っていないのは明らかで、宗教を軽々に許すような国家体制でもない。まして世界平和は単なる戦略標語である。アメリカも本心ではあらゆる利益に貪欲であったし、実際に幾つもの不幸をもたらした。それでも一応はお題目に平和を掲げた国である。その点は中国も同様であるが。

 

アメリカの平和の先には自由と民主主義という目標があった。宗教戦争の構図と何も変わらない気もする、お題目としては用意していた。イデオロギー故に多くの悲劇も起きた。だから反米感情は親米を狙った数以上に増加したとも言える。

 

一方の中国は平和の先に立つものを掲げていない。そこに理想も理念もなく見える。その理由としてはそこで掲げている理想が極めてアジア的だからだろうとも思えるのである。中国で始まった統治の理想と、ヨーロッパで開発された統治とそこには若干の異なる部分がある。

 

アウフヘーベンヘーゲルの言葉を借りるなら、現在の中国の行動は、西洋と東洋の統治の理想を統合するための始まりではないか。それを目指すほど世界は小さく近く狭くなったのではあるまいか、またそういう現象が起きなければインターネットとAIがもたらした人々の引力に面白みはないと思われる。

 

それが老人たちの野心と虚栄心の果ての結果でないのなら、世界はそうあるべきだ。