デーブ・スペクター、夫逮捕の説明避ける三浦瑠麗氏に苦言 「発言してないから問題」

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恐らくデーブスペクターの考えの背景には西洋がある。その源流を辿ればソクラテスの弁明に至る。何かが起きた時には言葉を尽くして論じる、それを広く多くの人が聞く。それを各自が判断する、その合計した場所にしか民主主義が立つ場所はない。その場所がぐらつくならただ滅びればいいだけだ。

 

英語の責任という単語がresponsibility、つまり応答するという所から派生したのは、弁明する所に責任があるという意味だろう。そういう文化的共有をした場所で育ったから、考えを聞きたいとなる。考えを聞くとは質問に答えるという意味になる。

 

人間は馬鹿ではないから幾つかの質問を重ねてゆけばそこに矛盾や混乱を見つけるだろう。その時の人間がどう向き合うかが重要だと考えている。そこにこそ民主主義の寄って立つものがある。チューリングテストもその発想の上に組み立てられた手順だろう。

 

一方でタイタンの妖女で知られる太田光の立ち位置には全体主義への強烈な警戒心がある。それは関東大震災で暴徒によって殺された朝鮮の人たちの話であったり、小数派が多数の論理のもとで差別されたり迫害されたりする事件への強烈な怒りであろう。

 

だからロシアを擁護したし、三浦瑠麗も擁護する。彼自身が強者に立ち向かう(漫才で)事をモットーとしている気がする。だから弱者に落ちた瞬間に弁護人を買って出るような所がある。弱者を叩く必要などない、強者に警戒しなくてどうするんだよ、というような所がある。基本優しく失敗に寛大な人なんだと思う。

 

つまりは根っからな反ファシストな所がある。そういう匂いとか色のするものにとても敏感でもあると思う。そういうのは早く指摘しておかないと激流になったらもう止めようがないんだというような考えに根差している所はあると思う。

 

もちろん、奥さんの太田光代に隠れて三浦瑠麗の横恋慕していた可能性もなくはないがそれは心の自由というやつである。最後まで隠し通せば別に問題はない。これもまたチューリングテストの範疇であろう。

 

成田悠輔はよく勉強している人のようだ。ポスト民主主義を三つ提示していて、幅広い知識を基として組み立てていた。その記事は大変面白かった。要は、端的に纏めれば、現在の民主主義の欠点を改良してゆくリフォームデモクラシー、AIなどを駆使して人々の無意識を読み取り民主主義にフィードバックするニューポピュリズム、そしてAIによる指導体制の確立であるAIフィーダーとなる。

 

イエール大・成田悠輔助教授「選挙も政治家も、本当に必要ですか」:朝日新聞GLOBE+

 

他の発言から類推すれば、その擁護の根拠は権力へすり寄るであろう。常に中立を保っている感じがするのは常に勝ち組を冷静に冷酷に見極めようとしているからだろう。イソップに従えばこうもり的論客である。

 

現在、反ロシアを装っている人も多い。そういう人は言葉尻を見ていれば違和感を感じる発言が時々交じる。その決定的証拠が、ウクライナによる反人道的ニュースへのコメントであろう。

 

戦争である。ロシア兵が絶対悪で、ウクライナ兵が絶対正義はありえない。ロシア兵の中にも人として傷つき悲しみ哀れみを持って行動している人もいるだろう。ウクライナ兵の中にも戦争犯罪を犯している人は絶対にいる。

 

しかし現在の立ち位置は絶対である。ロシアの戦争犯罪は今すぐ処罰する。たとえ無罪でも有罪にして構わない。ロシア兵に対する冤罪の謝罪は戦後に行えば十分だから、現在はロシア兵を殺すのに何の躊躇も呵責もいらないのである。

 

一方でウクライナ戦争犯罪も厳罰に追求し処罰するのは戦後である。今ではない。今は人類の絶滅をかけた戦争をやっているのである。そんな暇はない。プーチン一党を少しでも利するような行為、発言はすべて親プーチンの証拠である。

 

我々は誰もがそれぞれの立場を、地域や歴史の先端にある今の集約として存在している。それぞれの考えには背景があり、根拠があり、求めるべき理想の姿がある。その一部を切り取っても不十分で、全てがあって1セットである。そこにその人の世界観の全てが投入されていると言ってもいい。

 

それは単純な一次元の数直線上に並べられるものではない。少なくとも二次元の分類が必要だ。