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NHKが異例の放送 番組で「受信料お支払いいただく」

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この番組は見ていないが、恐らく見なくても構うまい。

 

NHKの受信料の根拠は決して放送法や放送受信規約に裏付けられたものではない。まして最高裁の判決によるものでもない。そもそも日本の裁判官など行政の犬なのだから、厳密に言うなら、その判例は何の根拠にもなりえない。

 

ではNHKが受信料の根拠とできるものは何かと言えば、「報道の公共性」しかない。そして公共性を持つには、政府、政権、権力、パワーを有する者たちから独立している事、つまり、批判する自由を確保している必要がある。

 

市民からの資金によって成り立つ事によって、公共性を確保する事ができる。それが視聴料の考え方である、これによって政府を批判する自由が得られる。放送法を作成した官僚たちはそう考えた。公共放送は、市民からの金銭的協力によって始めて成立する。

 

これが税金を投入しない理由でもある。もし税金が投入されたなら、それは公共放送ではなく国営放送である。もちろん、スクランブルを掛けるなら、それも公共放送とは呼べない。

 

受信料はNHKが公共性を得るための必要条件である。それしか手がないわけではないが、有力な実現方法である。そして、公共性の十分条件ではない。つまり視聴料だけで公共性を持っているとは言えず、公共性については別の監視機構が必要なはずなのである。

 

もし公共性を失えば、視聴料の原理的、理念的根拠を失うのであるから、公共性のない放送をしつつ視聴料を徴収するのは、法的根拠なく金銭を徴収しているのであるから、当然ながら詐欺行為以外の何物でもない。たんなる犯罪集団である。

 

では公共性とは何か、何をもって公共性と呼ぶべきか、という話であるが、ラジオや地上波は、公共性の最低条件を満たしているが、当然だがBSに公共性はない。何故なら全ての人が視聴する環境にないからである。かつ、契約しなければ見れない運用をしている以上、それは営利目的の活動である。

 

公共性とインフラは若干異なる概念である。それでも極めて近い関係にある。国家や行政が行っていて公共性を担保しているものは幾らでもある。そもそも行政は公共的サービスであって、根拠なく恣意的に誰かへのサービスを拒否すれば、それは国家反逆や権力の私物化として非難されるべきものである。

 

ガス、水道、電気、交通機関などがインフラの代表であるし、そのインフラ上で活動する様々な民間企業が公共性を持った事業を展開している。多くの企業がその理念に社会への貢献を上げている事からも明らかだろう。

 

であるから、報道だけがここまで厚遇されなければならぬ理由は何か。それはジャーナリズムが極めて強く権力から弾圧されてきた歴史的事実である。権力が暴走する時、真っ先に弾圧の対象となるのが放送局である。ちなみに日本の多くの放送局、当時は新聞社、は国家に自ら進んで協力したので強く弾圧された歴史は持っていないはずである。

 

人間を支配するには、情報が第一であり、この情報に信用が含まれている。信用を詳細に見れば、通貨、法律、社会などがある。次に生命の尊厳があり、物理的なものである。詳細には、水、食料、排泄、医療、休息などである。例えばニュースをコントロールするのは情報であるし、戒厳令を敷くのは物理的なコントロールである。

 

公共性という観点で見たとき、紅白歌合戦は本当に公共性の意義を有するのか、娯楽の少ない時期であれば、「ついで」という考えもあったろう。だが現在はもうそうではあるまい。大河ドラマのどこに娯楽以外の用途があるのか、どんな公共性からの要請か、朝の連続テレビ小説のどこが公共性なのか。

 

だがこれらは既に歴史的、文化的意味を持ってしまった。だから、継続してゆくことは日本の文化の育成に貢献している、という見方ができる。それでも、例えば、民放の長寿番組、例えば毎日曜の笑点サザエさんにだって十分に文化的な価値を持っている。だが、これらの番組は保護されていない。もしスポンサーが見つからなくなれば消えてしまうのである。

 

NHKはなんら視聴率を気にすることなく、放送を続ける事ができる。これも公共性の担保であるが、誰も見ないもののどこに公共性があるのか、という話と、多くの国民が支持する事が本当に公共性の根拠となるのかという疑問も解決しておく必要がある。いずれにしろ、NHKが視聴率争いに加わる必要も根拠もなにひとつない。

 

民業の圧迫という小泉純一郎のようなバカげた考え方をする必要はあるまい。ただ公共性は民放にだって求められているし、放送法はそもそも公正性を放送局に求めている。ただ民放はスポンサーの意向がある点で弱点がある。

 

だが、自分の主張を述べれば、当然ながら偏る、ならば、放送局がすべきは意見の表明をしない事ではなく、なるべく多くの意見を取り上げ、それらを平等に流す事になろう。それが欠ければ公共性ではなく政治運動になる。

 

NHKがスポンサーを持たないのは企業に依存せずに公共性、平等性を担保するための採用であるが、では番組の合間にBSの宣伝をするのに何の問題もないのか。BSは先ほど述べた通り、一ミリの公共性もない。BSはNHKの私的活動に過ぎない。

 

私的活動という点では4Kなどの技術開発も同様で、どこに公共性があるのか、それに公共性があるなら、大学にだって公共性がある。だが、大学に視聴料の強制する権限は与えられていない。

 

もし本当に技術開発がしたいのであれば大学に資金を投入すれば良いだけである。それは民間企業の方法だだ。それをなぜNHKがするのか。その根拠となり資金がなぜ視聴料で支えられるのか。

 

今後、デジタル放送の技術革新は更に加速する。5Gによって量的凌駕が質的転換をする時代である。その技術革新に対応する技術を持っておく必要がある、これには説得力がるが、それは民放も同じであろうし、インターネットの世界では普通の話である。NHKだけが特別である必要はどこにあるのか。

 

ここまでを含めても、まだ、これらは時代の変遷、歴史などもあって急に止めたりはできないものである。そういう意味では、彼らの活動範囲は厳しく監督され、必要のない私的活動については強く糾弾される必要があるが、それを急進的にするのはまずい。

 

NHKは教育テレビを通じて、教育や文化、スポーツの振興にも貢献している。NHK杯は、日本では天皇杯と並んで広く膾炙している。放送法は事業者に文化的貢献を求めている。放送大学もこの点に正統性を立脚している。

 

よって、NHKの公共性の本丸はニュースにある。NHKは政権の監視機構である。政府からの圧力に屈するなら、公共放送の名を捨てるべきだし、批判しないなら、公共放送である必要はない。多くの疑惑を調査してきた実績がNHKにはある。たった一本のNHKスペシャルによって社会を変えてきた実績がある。

 

それを失うのならNHKに公共性はない。そして最近のNHKは国営放送で何も困らないと思う。

 

というより、公共放送の名で政府偏向報道を続けるくらいなら、国営放送として堂々と政府報道を続ける方が、市民にとって分かりやすい。正しく警戒できる分、正常な状況と言える。結婚詐欺かも知れないと思いながら付き合うよりも、こいつ、結婚詐欺師だな、と分かった上で付き合う方がずっといい。

 

どうせ人間は完全な公共性も公平性も持てないのである。どうしても私利的になる部分が残るし、肩入れもする。それは仕方ない。それでも公共性でありたいと願う者は、決して放送法最高裁判所を持ち出して誰かに訴えようとはしない。

 

法律によって我々が正しい、最高裁判所も我々を支持する、こんな発言をする人間のどこにジャーナリズムがあるのか、どこに公共性があるのか、国の権威によって己れを立たせる者には国営放送こそが相応しい、現在のNHKは潰すべきだ。

 

どれだけ現場の人間が公共性について考え抜いても、トップ連中がこの程度では絶対に維持するのは無理である。特攻隊に行けと言われたら君たちは飛ぶしかない存在だ。

 

本気で運営したいなら、自分たちの手に経営権を取り戻すべきだ。その上で公共性に自ら厳しくするしかない。もし公共的でない放送をしたら何時でも逮捕してくれ、と言える人材でないと無理だから。公共性とは自ら律する事でしか追求できないものである。政府首脳とのお食事会に出掛ける人間に公共放送を運営できるはずがない。

 

と、書きながら、近江友里恵アナウンサーを思い出していた。