NHK、契約逃れに割増金=放送法改正案を閣議決定

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もしNHKが国営ならば、このような話は起きようがない。税金で運営されるから。公共放送を隠れ蓑にして、国家の手先として運営されているから、このような強欲な営利企業の振る舞いに邁進する。

 

つまり NHK とは郵政の後に残った最大の既得権益であり、政治家にとってはうま味があるという事だ。この目の前の利益からすれば、世論操作など、グリコのおまけである。グリコのおまけに価値を認める人には、それよりもずっと価値がないと言いたいし、グリコのおまけに価値を認めない人には、それよりも更に価値がないと言いたい。

 

公共放送であるとは、政府を批判するために与えられた特権である。よって、その特権を行使して、当然ではあるが私欲を肥やす事は禁止されている。禁止されていると言っても罰則はない。ひとえにそれを牛耳る人たちの心持ちひとつに掛かっているから、超えるのは簡単である。政府の逆鱗に触れない限りは問題ない、そう考えても不思議はない。

 

そもそも、政府が認可を与えるという立場である以上、主従関係が生じるのは当然であって、それを政府の側、NHKの側、両者がそれは良くないとこれまで律してきた。その後に金になると気付いた者が、それを破棄し、両者が歩み寄ればお互いの関係を強化するのは当然である。

 

時が時なら死刑を持って処すべき行為であり、現在の日本では、それさえも上手くやったと賞賛される。つまり、強い側は何をやっても許されるが、弱い側は少しの瑕疵でも強く批判され罰せられる社会が構築されつつある。NHKの存在はそれを象徴する。

 

だから、もし日本で革命が起きれば、折しも本日は226、NHKの職員などは、片っ端から、ロベスピエールのような強権が可能なら、次々とギロチンにして公園通りに陳列されるはずである。そこまで政府とずぶずぶの関係でありながら、未だに公共という表の顔で善人ぶるも、裏の顔は金の亡者であり、政府の手先であり、権力への希求であり、報道という立場よりも視聴率競争の奴隷であり、ジャーナリストであるよりも誰にも怒られない平穏な陳腐を求める集団なのである。

 

これは何もかも、その原因は彼らに公共放送と名乗らせているからである。NHKに公共性はない。ただの1mmもない。嘘、偽りは良くないから、国営放送にすべきである。国営放送なら、いまNHKがやっている全ての事は正しい行為になるのである。欲まみれのアナウンサーたちがNHKというブランドを如何に利用してきたかを見れば、それは明瞭だろう。

 

政治家の言い逃れがそのまま通用するのは、報道機関が取り上げないからであり、もちろん、自民党支持者から見ればこの程度ならまぁいいかという内容に留め、野党支持者から見ればもっと激しい批判が当然だろうという意見には少なくとも報道はしておりますという立場を取り続けているのである。

 

NHKには優れた番組が多い事は知っている。海外ドラマの放送なども適切だし、自然のドキュメンタリーの幾つかはBBCにも匹敵する完成度を見せる(BBCの全てが見本ではないが、ドキュメンタリー、ドラマともに全体的な質はNHKの遥か上である)、それなりに優秀な人で構成された組織と考えられる。

 

所が頭が政治に取り込まれている。いま流行りの言葉で言えば、お前も鬼にならないか、と言われてほいほいと鬼になった訳である。何かの恨みがあるわけでもなく、ただ目先の欲に目がくらみ鬼になった。そういう連中である。

 

つまりNHKは鬼滅されなければならない。郵政なんかよりも余程、この国に悪影響を与えている。小泉はそういう点でも無能だったんだなあ。