ナイジェリアでまた学校襲撃 300人以上連れ去られる

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このような犯罪を見る度にアフリカの暗部を思い知る事になる。ヨーロッパに蹂躙され、国境を切り刻まれた民族が、それを自分たちの手で見直す事もできずに受け入れるしかなかった人工的な近代国家の成り立ちが、恐らく全ての不幸の始まりである。

 

ヨーロッパ人が本気で歴史を学び、本気で過去を憎み、ポリティカルコレクトなどのお遊びにうつつを抜かしているのではければ、その事実を前に彼/彼女らは歴史からの退場を選択するだろう。

 

だが、未来は過去を清算する為にあるのではない。ならば、そのような話よりも、今ここからどうするかを考えるしかない。国連に勤務する多くの職員たちはその思いを抱え頑張って世界中を飛んでいるのだと思う。

 

しかし、それはそれ、これはこれであって、このような襲撃事件について思う事は様々である。そもそも、なぜそのような犯罪者集団が放置された状態にあるのか。集団が大きくなるほど、警察から逃れるのは困難である。この時の原則は、その地域内に国家を超える軍事組織がない場合が前提である。

 

アフリカのように国境が隣り合わせの大陸では、無法者は国境を超えて活動するはずだから、そこで国境を隣にする国家が包囲網を敷けば国家が勝たない道理がない。しかし、山でゲリラ活動を始めた場合、もし隣国がその支援でもしようものなら、これは非常に気の長い戦いになる。

 

しかし、少し調べればチュニジアはGNPで世界20位、人口2億人、原油も豊富な大国と書いてある。という事は、普通に建国していれば、巨大な犯罪組織が活動できるような場所は存在しえず、仮に存在しても、こんな大胆な犯罪は出来るはずがない。仮に日本国内でこのような規模の犯罪が起きたら、如何なる犯罪者集団であろうと徹底的に警察によって潰されるはずである。

 

だから、国外である北朝鮮は警察もなんとも出来なかった。悔しい思いをした捜査員もいたはずだが、見て見ぬふりをした政治家やその指示を受け入れたトップ官僚たちは例え死後であろうと追求されるべきだし、勲章などは剥奪されなけばならないし、その汚名は国家ある限り歴史に刻まれるべき事例である。

 

いずれにしろ、巨大なGNPを持ちながらも国内に巨大な市場がない、そのため貧困のある国だそうである。そして貧困から少しずつだが、脱却しつつあるらしい。という事は貧困ではあるが、政府の政策が功を奏しつつある状態という事になる。

 

つまり、教育は行き届きつつあるが、まだ経済的な不合理や理不尽も多く、チャンスが少ない状況で、しかし、まったく金がない訳ではない。すると何が起きるか。

 

頭のいい連中が生きる為に少しの資金でハイリターンを狙う。そういう活動が活発になるはずである。つまり貧困から脱出する過程で、一時的に不安定な状況を通過する時には、非合法的な犯罪が伸びるのではないか、という仮説である。

 

成長の需要に追い付かない場合、そのアンバランスさはどこかで吸収されなければならない。それに最も確実で安直な方法は犯罪である、という状況があるなら、当然だが、今が踏ん張り所であろう。それを抜け出せば、また社会が安定し、犯罪率も減少すると予想できる。

 

すると、政治が担う役割はこれからが正念場であって、これから腐敗しないか、強権者が既得権益を狙って独裁者にならないか、この点が重要である。2010年の時点でのチュニジアの腐敗指数はまだかなり高いそうである。しかし着実に改善されつつあるそうである。

 

多くの民族の対立がある地域ではいっそ国を分割する方が望ましい。その課題がアフリカほど強い地域はないだろう。だが、国を分けるにも天然資源の埋蔵地域をどうするのかは重大な問題である、分割したらA国は石油で豊か、B国は碌な資源もなく貧国では、攻め込まれてB国は直ぐにどこかの支配下に陥る。

 

中世までの歴史で、自然に国境線が確定した地域は幸福だ。ヨーロッパでさえ、国境で揉めて、何度も世界大戦を経験し、ジェノサイドも何度も起きた。だからEUという連合体になれば、国境という魅惑的な問題を封じ込める事が出来ると考えた訳である。

 

ではアフリカはどうであるのか、これが難しいと語る事ほど簡単で間抜けな話もない。そんな事は国際連合がで生まれた時点で多くの人は懸念していたはずである。そして、それにどのような回答もない事もまた同様である。

 

これはアフリカにどのような市場が誕生すべきかと全く同じ話であって、中国がアフリカ大陸の市場に注目し、積極的に投資をする慧眼は流石だと思う。彼らは50年後を見ているはずである。その頃には習近平も歴史になっているだろうし。

 

経済が持ち込んだ不幸、経済でしか救えない不幸、がある。経済が全てを救うなどキリストが人類を救うのと同程度の戯言であるが、アフリカにもキリストとイスラム教の争いがあると聞くと、困難は更に大きいのかと嘆息する。

 

民族と宗教、これが世界で観測される問題の表層である。これらの背後にどのようなメカニズムがあって、そこから押し出されたのか。

 

民族は民主主義が生んだ独立の単位であろう。民主主義は自然と独立を促進する思想であるから、その単位として最も簡易である民族に着目されるのは自然である。そして、民族を一般的に最も強く分割するものは宗教である。

 

つまり、世界の現在の不幸の根底に民主主義がある。恐らくそういっても間違いではない。見て見たまえ、世界の殆どの不幸が民主主義の地域で愚かにも起きているではないか。其れと比べれば我々共産主義はどうだ。問題がないとは言わないが、着実に解決しつつある。そう中国はうそぶくだろう。中国が民主主義を冷徹に研究していない訳がない。

 

それと比べると我々の中国共産党に関する研究は寡少だ。アフリカは中国とアメリカの覇権争いの大地となるはずである。恐らく不幸も続くだろう。我々はどのようにこの星を世界に披露するのだろうか。