ウイグルで急増する不妊手術 米「ジェノサイド」と非難

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ナチスが勝利した世界線を考えると、恐らくヨーロッパは支配地域となり、ロシアはモスクワを放棄し極東に追いやられ、中東の石油はドイツが支配している世界像であろう。

 

イギリスやフランスの暫定政権がアメリカ大陸に誕生しているが有名無実で、レジスタンスを続けるであろうがヨーロッパ大陸へ人を送り込むのも困難を極め、中東の石油を奪還する事を第一の目標とするしかなく、状況は極めて見通しが悪い。

 

アメリカは独立を死守しつつもヨーロッパ大陸での敗北に捲土重来の巻き返しを図るであろうが、相手もまた巨大な支配地域を持つ。これはあくまで核開発に成功していない前提の歴史であるが、仮に成功していたとしても、数発程度では話にならない。

 

どのような世界線であっても、アメリカが石油資源を手放す事は考えられず、また独裁国家ドイツとの対決姿勢が揺るぐ事はないように思える。しかしアメリカ市民が孤立主義を選択したらドイツは生き長らえる。

 

束の間の平和さえあればナチスドイツもまた核兵器の開発に成功するのは疑いようがなく、そうなればお互いに手出しが出来ない状況が発生する。さて、そのような巨大な力を手にしたヒットラーがじっと平和な世界にじっと我慢ができるか。

 

しかし独裁国家というものは耄碌した独裁者を誰も排除できないために、次第に活力を失うとしたものである。遅くとも1970年代には、ドイツは後継者争いが激化するだろうし、粛清が吹き荒れる中でも、各地で独立の機運が熟すであろう。

 

一般的に独裁国家世襲によって滅びる。それをしなかったのはスターリンの慧眼か偶然か。だからソビエト連邦は1991年まで生きながらえたのである。それにしても20世紀に消失した国家/政体のなんと多い事か。

 

仮にドイツがその後(After Hitler Gone)にどのような政治体制を取ろうと、広大な領土を持つ国家の運命は決まっている。各地で発生する独立運動である。それを暴力で屈する事が可能かどうかは、外部とどれだけ遮断されているかによる。人々が難民化すれば、それは攻めの好機である。多くのゲリラやレジスタンスのために国境周辺には大規模な密輸網が構築されるはずである。

 

広大な領土を持つ多民族支配が成功した例は少ない。だが、広大である国家が多民族である事からは逃れられない。人間の歴史は一般的には民族間の対立として描かれる。

 

ソビエト連邦の崩壊があれだけの平和裏に完了した事は、逆に言えば、広大である事が欠点でもある意味になるだろう。崩れるのを力づくで押しとどめる事は不可能である、という判断があったから、成るが儘にまかせたのだ。

 

長い歴史の中で長大な領土を長く支配した国家はひとつとしてなく、例外は中国くらいである。秦が統一するまで多くの国家に分かれていたのに、中華統一という理想を掲げた始皇帝の思想的灼熱は如何ほどであったろう。幾つもの国が統一された事を受け継いだ人々の思想的革命が当然として受け入れられた時にひとつの中華/民族が誕生したのだろう。

 

融合と分裂の繰り返しで民族の形成と人種の区別が歴史上で入り交じっている。支配による融合も、文化による浸潤も、そして宗教の伝播も、人間を分類するという視点でみれば、わずかな一側面でしかない。

 

所が人類は未だ民族/部族という単位でしか国家を形成できずにいる。多民族国家という名称が存在している事がその証拠であって、つまり多民族と呼んでいる限り、そこには争いの種である民族を常に内包しているという訳である。

 

破壊され尽くしたヨーロッパがどのような復興を得るのか、それは果たして可能なのか。ナチスというひとつの狂乱の国家が、文明となり文化にまで昇華するかも知れない時間軸に、果たされなかった未来を想い描く事は難しい。

 

しかし、失われた多くの民族が、また集結する事でしか国造りは起きないであろう。例え言語が違おうとも、同じ民族であるという認識が国家に人が集まる理由である。日本の神話だって如何に地域に住む人々がひとつの民族体になるかを描く物語であるといってもそう間違っていない。では、なぜ多くの民族でそれは神話という形を取るのか。

 

さて、その未来ではナチスはどのようにユダヤ人を語るであろうか。そこで展開される論理は、現在の世界像とは全く異なる事は想像に難くない。またジェノサイドはナチスドイツの専売特許でもなければ、人類史の初めてでもない。

 

我々の知らない多くの民族はそのように殺されてきたと考えるのを否定する証拠は何もない。その痕跡は幾つも発掘されている。しかしユダヤ教が極めて強靭な信仰の思想を練り上げた来たのは、またその迫害の故であって、民族形成のための神話が更に磨かれてきた歴史と言ってもよく、その宗教的側面に、最も魅かれたのがヒトラーその人である事を思う時、歴史は喜劇にもなり、悲劇にもなる。

 

キリスト教徒がユダヤ教徒を迫害するヨーロッパの歴史も大概なものだが、民族という側面はそれほどまでに強烈であって、民族でありながら国を持たない人々、国が崩壊した人々の苦労は、現在もなお進行中である。また国を持っていても迫害されている人々もいるのである。

 

孰れにしろ勝者がそれを罪とするはずがなく、それは敗者となるか、後世からの冷徹な批判を受けるしかなく、既にこの世界から去り別の世界に旅立った者たちからすれば小さな挿話である。

 

ドイツが今もナチスを嫌悪するのは、間違いなく、その萌芽を自分たちの中に見つけているからであって、油断すれば、あっという間にあの時のあの集会が再現される事を自覚しているからである。あの熱狂を生み出した炎は人間が元来もつ性質のようなものなのだ。

 

だとすれば勝利したナチスに人々が心酔するのは間違いない。日本だってあの戦争に勝利していれば、そのような思想的優越心を持ったに違いない。自由よりも平等よりも民主主義よりも古い歴史を持つ自分たちの統治的理想に酔ったに違いない。

 

第二次世界大戦の特徴は、優越というキーワードであろうか。アーリア人も理想も、大和民族の矜持もどちらもそれを原動力としていた。何故だろうか。そういう叫びが必要なほどの劣等感があった事は間違いない。さほどに強烈なものをヨーロッパが持っていたという事になる。ロシアだって劣等感を感じる側であったはずで、スターリンがそれをよく知っていたのではないかという妄想は可能な範疇だ。

 

しかし、どのように推論を重ねても、アメリカという国家が持つ、自分たちへの批判と、理想を追求する姿勢が民主主義という土壌から生まれているのは間違いなく、トランプ支持者であれ、バイデン支持者であれ、そこを否定する人は少ないはずだ。

 

アメリカの極右、極左であっても無政府を理想とする自由主義者であっても、そう簡単に民主主義を否定しはしないはずだ。そこがアメリカという国の存在意義になっているし、それを否定する事はアメリカの瓦解に直結するから、それはテロリストの言に等しくなる。

 

民主主義から誕生したからといって、それを支持する理由はない。だから独裁制が民主主義の雛鳥であっても、ナチスドイツは一種のヒーロー主義であり、民主主義は明確に否定した。ヒトラーが目指した政治に理念も理想もなかった。ただ最も熱狂の中にいた者が、その熱から逃れるために走り続けた結果だけのような結果がある。

 

目の前にある権力がヒトラーの必然を生んだであろうが、それは多分に偶発であって、もちろん、彼の野望がポーランドを入手した時点で終わっていれば、後世は彼を名政治家のひとりに数えたであろうが、それが出来る人間なら、恐らくドイツを征服しなかったはずである。

 

どのように歴史の中に位置付けた所で、ナチスが行った数々の蛮行は、その他の国と多かれ少なかれよく類似するとは言え、評価が決定的であったのは敗戦によるものである。よってもしドイツが勝者になっていれば、評価が変わる事は間違いないし、その思想的背景を強靭に支持するレトリックは幾らでも誕生する。

 

しかし、未来の口を現在が閉じさせる事はできない。言葉を使う者の全てを絶滅させない限りそれは不可能であるし、仮に可能であっても、いつか地球に到来する異星人が語るかも知れないのだ。

 

しかし、それはそのような残虐な行為の被害にあった人をなにひとつ慰める事にならない。また、周囲がそれを留める力を発揮する事のも寄与しない。巨大な国家であってもそれを止める武力の行使はすまい。

 

また、そのような行為をする事が長く人々の間で語られ、記録され、そして世界的に「民族」の評価を決定する働きがあるのなら、この民族に対する評価、が世界を悪評で覆う事は良い話であろう。少なくとも敵対する陣営にとってはそれは良い兆候である。

 

だが、漢民族であろうが、朝鮮族であろうが、大和民族であろうが、民族とは人を修飾する一部でしかなく、時間や宇宙では何の根拠にもならない側面である。そのようなものに価値を持つしかない現在というのは決して喜ぶべき状況にはない。

 

しかし、それは宇宙を旅するものの視点であって、地に這う者は、これを無視できない。民族浄化が安易に手段となるのも、また人間の想像力の狭さであるが、この狭さがなかなかに難しい。言って拡張できるなら苦労はない。人は言葉など聞きはしない。ただ世界を覆う空の色に従うのみである。

 

少なくとも経済の前では人は口をつぐむ。如何なる悪行であれ、ストックホルム症候群は人の心理で起きうるのである。安易な失言が命取りにならない政治家とは状況が違うのである。

 

しかし、このような行為が短期的でも国際的評価を決定し、信頼を失い、信用を手離し、周囲から警戒されるようになれば、経済的な打撃も大きく、それは好機なのであえる。そういう風に自分から転んでくれるものをわざわざ手助けするお人よりはいないのである。ま、そうでなければとても太刀打ちできる状況にならない。

 

欠点を持っている事は好機である。同時にその欠点は何時でも長所に変貌する。見極めが重視される理由であろう。

 

独裁国家が正気でない行動を起こす事は、その被害者を除けば、我々を遇する。懸念される問題は数多しであるが、当時と異なり、今は核がある。そう簡単に武力衝突とか言えないのである。

 

さて、何ができるかと考えて、考え込んだ結果、何も言えない事に気付く。批判した所で何かが変わるはずもない。我々はその無力さの前にそれでも声だけは上げておくとして満足するしかない。そういう中でアメリカやヨーロッパは、思惑付きとはいえ、堂々としていて立派だ。

 

一体、どういう力学でそういう行為が行われているのか、まるで理解できない。自分たちの国家に百年に及ぶ悪評を附す事がどうのような利益を生むのか。もし中国が、その人民が、それを支持するなら、その理由は何か。出世欲以外の何も思いつかない。

 

もしトップにある人々がヒトラーとあまり変わらない理想を持っているのなら、それはそれで異様であるが、その背景にある思想が見えてくれば、少なくとも不思議ではなくなる。

 

とはいえ、中国には中国の正論と反論があるはずで、我々はそこまで愚かではない、と言われそうな気もする。それには同意する。だから何を目論んでいるか、それを止めさせる事もせず、しかし、データを公表したりする辺り、統一性がない。そのひとつひとつに誰かのメッセージが込められているのか、とでも考えない限り、承服しかねる。

 

ナチスの正統な後継者はイスラエルによるパレスチナへのジェノサイドだと思っていたが、アフリカでも内乱が起きればすぐにジェノサイドだし、日本国内にも朝鮮を滅ぼせという人が叫んでいる訳で、これはもう表層の現象であって、その背景にあるものはもっと違う何かであるに違いない。何が人をジェノサイドに向かわせるか。ナチスドイツという歴史を持つのに、我々はその謎を未だに解明できないでいる。

 

そこに何か見落としている気がした。