「花粉症の薬を保険適用外に」健保連が気になる提言 市販薬への移行で最大600億円の医療費削減

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国民皆保険は、日本が世界に誇れる制度であるが、あのアメリカさえオバマケアさえ持続するのに苦労している。それは何も自由という理念だけの問題ではない。

 

明らかに健康はビジネスになる。死が宗教というビジネスを確立したように、健康が保険という花を咲かせるための水である以上、保険制度を国家が支配する状況は機会の喪失である。

 

そういう主張をするのは間違いなく、名前を語るも唾棄すべき竹中平蔵のような守銭奴が、そういう分野に食い込み、法律を変え、私腹を肥やす事に邁進してきた実績があるからである。国家を食い物にして恥なし、そういう動物である(人間とは決して呼べない)。


そういう状況で、持続性について真面目に考える人たちは、継続するために、負担の軽減を主張する。これは確かに合理的な主張に見える。市販薬で賄えるものなら、保健薬を使用しないで欲しい。少なくとも、そういう機会が減る方向には舵を切りたい。

 

そういう話が、起きてきた事に危険性を感じる。これまで持続可能だったものが、そろそろ無理である、という状況が日本のあちこちで見られる。これらの現象は、環境の変化が原因である、という短絡な話程度なら誰でも理解できる。

 

だが、個々の構成要素のうち、どの部分が増えたから、または減ったから持続不可能であるのか、について納得できる説明を受けた事がない。

 

経済的に考えるなら、支出<=収入が原則である。よって、支出が増加している、または収入が減少している。このバランスが崩れたという話になる。人の数が減っている。だから収入が減っている。だから、危険なのだ、という説明は最も合理性のある説明だ。

 

だが、それなら、人口がどこかで安定すれば、また安定した運用も可能となる。人口減による収入の減少と、支出する人数(おもに高齢者)の増加が不一致している状況が原因ならば、これは確かに納得できる話である。

 

ならば安定期に入るまで、主な使用者である高齢者の医療費を圧縮するしかないし、それが最も妥当であろう。だが、それは本当に平等と公平な方法か。高齢者という理由だけで医療の質や機会を減らされるのは正しい考えであるか。

 

これにはふたつの考え方がある。保険制度といえども有限の資産なので、その運用には何らかの制限が入る事は当然である。ではその制限はどのような考えでやるべきか。年齢、性別、収入などを考慮しないならば、病気の重さで決めるのがいいか。

 

だが、交通事故のむち打ちと同じで、症状の重さは最後は自己申告になる。脳波によって痛みや不快感を測定してもよいが、そのコストもまた馬鹿にならなさそうである。人間はそんなに善良な正直者ばかりでない。どちらかといえば、強欲な正直者の方が多い。

 

支出が増加するのは、医療費が高騰しているからだろう。その原因として、単位辺りの値段が増加したか、病気になる人の数が増えたか、どのどちらかという話になる。医療費×病人が支出である。医療費の高騰の原因には、診察料、治療代、薬などいろいろな価格の問題が考えられる。それらが値上がりしているなら、現在はインフレ状態である。

 

ではこの国の貧困の原因はインフレにあるのか、と言われると、それはどうも確からしい。経団連は何かにつけて人件費が問題であるというが、人件費が高騰しているなら、生活費か税金が問題のはずである。それ以外の贅沢品が経済を疲弊させているとは考えにくい。

 

もちろん、科学技術の発展は、生活費を高騰させる方向で動いてきた。簡単に考えても30年前の人に通信費は不要であった。ペットボトルの水も昔は買わなかった。昔は水筒を使って出かけたのである。諸々のコストは昔より上がった。其れと比べられるだけの、不要になったものはないはずである。

 

これが全体のコストを上げたとして、ならばそれが現在の経済的衰退の原因となったのであろうか。それは少し理解しにくい。個人が生活するのに必要な最低金額は、恐らく上昇しているはずである。それが最終的には、生活保護などの予算不足と直結している。

 

一体何が、これだけの高コスト化をさせたのか、これは贅沢病ともいえる先進諸国に共通の現象に見える。同じ乞食でさえ、おそらく50年前と今では、必要なコストが違うと思われる。そして医療費もその一角を占めるに過ぎない問題だろう。

 

生活費の中で最も多くを占めるのは家賃だろう。家賃の占める割合が高いのは、当然ながら賃貸が原因であって、それは都市圏における人々の流動性の高まりと無関係とは思えない。江戸時代のように多くの人が家を持ち、死ぬまで生まれた場所に留まっているならば家賃が問題とならない。数万から数十万という家賃が別の事に使える。

 

家賃が不動産業に流れている。そしてバブルで我々は知ったように、不動産というのは実に生産性には寄与しない産業である。もちろん、経済的には最重要な存在である、不動産業があるから、建築産業が成立する。そして、社会の殆どのインフラは不動産を基本に構築される。都市計画が成功すれば人々の流動が変わる。そういう重要な役割をもつインフラであるが、何かの発展性に寄与する分野ではない。

 

つまり、奇異に聞こえるが、日本は不動産というコストによって身動きが出来にくい状態に陥っており、それが経済的衰退の原因となっているのではないか、という話である。もちろん、この主張には数値的根拠も経済的洞察も、社会的慧眼もない。ただの思い付きである。

 

だが、この国および先進国の行き詰まり、衰退には何等かの原因があるはずで、それが何であるか、という探索は今後も続けてゆくと一人考えているのである。