政府、休業拒否の罰則検討=特措法改正、協力店支援も明記―新型コロナ

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専門家は、感染症対策として人の隔離を目指すのは当然だから、当たり前として、その最終形態は強制収容所である。当然だが感染症の専門家だから、民主主義が崩壊し、人権が失われ、ましてや経済崩壊による数万人の暴動も何万人もの死亡も一切気にする必要はない。恐らく責任感さえ不要だる。彼らの注視は感染症患者の推移である。

 

だから、未だに夏の時点で今冬にどれくらいの陽性者が出るかという予測さえ公表しなかった。立てなかった訳はないのだが、予測して秘密裡に必要な病床数を求めたはずだ。陽性者数×重傷者率×平均入院日数がテンポラリ的に必要な病床の最大数になる。これと現在の国内の病床を比較すれば、どれくらいのベットが必要であるかが求まる。

 

これで患者単位に必要な医者の数も求まる。看護師も芋づる式に求まる。更には事務方や必要な薬の量、原料、製造、運送から、病院の運営に必要なサポート人員が求まる。それに人件費を掛ければ政府にどれくらいの予算が必要かを請求できる。

 

恐らくこれは秘密裡に進められたはずだ。しかし、表面的に見る限り、何かが改善された形跡はない。ヨーロッパで一日一万の陽性者が出るのは春の時点で規定であったのだから、冬の日本がそうなる可能性は十分にあった。

 

所が東京都でさえ500人を超えたら医療者たちが限界であるとヒステリーに陥っている。この国の資源は想定以上に低かった。日5000人を超えたら心配しようかと想定していた自分が馬鹿みたいである。

 

当然、政府は医療崩壊の危機に対応するために、人々の移動を制限したい。法治国家であるから、制限するには根拠がいる。それが法律である。だからマスコミを使って、この三週間が効果に乏しい事、それが主に飲食の現場で発生しているらしい事を仄めかす。所が最大の感染場所は家庭内と公表しているから、家庭内が最大であるとすれば、それがどこから持ち込まれたかは既にトレース不能である事を意味する。だから飲食店が原因であるという推定を無理にでも押し通そうとしている。もちろん、専門家たちは自信があるはずだ。それしか考えられないと。

 

理由はどうでもいい。そういう空気を作るのに日本のマスコミ、特にニュースを読む女子アナウンサーたちは秀逸である。自覚はあるはずだ。でなければあそこまで不安を煽る表情や声質が出せるはずがない。そういう風潮から距離を置いて冷静でいるのはフジテレビの三田友梨佳アナウンサーくらいだ。

 

いずれにしろ、政府としてはお金を投入する理由と、市民を制限する理由としての法律を欲している。そして間違いなく、一日千円払うから営業を短縮しろと迫る。その結果、倒産しても政府は関知しないとくる。つまり、この法律は感染を防止するのが目的でなく、政府が後から言い訳をするためのものなのである。もちろん、世論の多くは、遅すぎたというであろう。マスコミがそういう空気を醸造する。

 

だから懸念しなければならないのは、もしそれでも感染がダウンしなければ人々がどういう行動に出るのかという話であって、日本憲政史上、初めて暴徒が国会議事堂の中にまで侵入するかもしれない。食うに困った人々が街中で暴走するのは容易い。最初はデモであろう。しかし空腹と明日への不安を燃焼させるのは簡単なはずである。ひとりの警察官が横暴な振る舞いをすればいい。アラブの春もそれで始まった。こういう法律を作るという事は政府にその覚悟があるかという話だ。

 

これまで対応を見れば、政府が一円も掛ける事なく事変を乗り切ろうとしているのは確かであって、何十兆と積み上げられた対策費だって、殆どは数年後に始まる新しいプロジェクトのための投資だ。間違いなく、コロナ成金を生むための施策だ。

 

経済活動の下限は医療リソースの量に制約される。ボトルネックが医療であり、医療崩壊を回避するには、陽性者を減らすか医療リソースを大幅に増やすしかない。政府や専門家の決意は減らす方である。その方がお金が掛からないから。いつもそういうやり方をしてきた。これだけの異常事態下においてさえこの行動形態は変わらなかった。意識しない限り、人は頑迷なのである。

 

確か、飢えている人に魚を与えるか、釣りの技術を教えるかという話がある。遠回りに見えてもこちらが近いという話もある。技術とは教育である。教育こそ生きる力である。技術の方が正しそうに見える。しかし、この説話の肝は、飢えている人に魚を与えるのには目先の金が必要だが、魚釣りを教えるのは唯で済むという事にある。そして魚が釣れなくて飢えて死んでもそれは責任ではない。

 

今、目の前が逼迫している。二年後の希望より、明日の収入が問題である。経済を疲弊させる施策が立て続けに打たれたら、その代替案はベーシックインカムで金をじゃぶじゃぶ投入するしかない。経済を止めないためには家賃収入や銀行の支払いを強制的に停止するも出てくるはずだ。それが経済にどのような影響を与えるか。正しくシミュレーションできる経済学者が日本にいるかは知らない。どれだけ水を堰き止めようとしても必ずどこかを破壊して溢れる。経済は水の流れと同じとはそういう意味だろう。

 

ではどうするのか、となると、代替案は難しい。だから恐らく、これは多くの時間を費やして様々な状況を考えた上で、この辺りが落とし所だろうと結論したはずなのだ。だが、その英知の結晶であるはずの施策が、新聞やニュースを通すと、どうして斯くもみっともなく、打算と責任逃れと言い訳のための政策にしか映らないのは何故か?

 

カリスマな嘘つきがいればいいという問題ではない。ワクチンが普及するまでの時間稼ぎという問題でもない。恐らく、その前に経済が倒れる。となれば、取るべき道はこれしかないじゃないか。そう言いたいはずである。それに賛成である。人の命を優先する限り、それしかない。今の体制で立ち向かう限りそれしかない。法律の枠内で考える限り。議論の各所で、それはこれこれの法律に違反しますという話が出てきたはずだ。

 

この政策の裏には特権階級を優遇するであろう予感がある。飲食店は時短で営業しろ、ただし政治家が会食するお店は別である。市民はなるべく家にいてください。散歩はいいですよ。ただし新聞記者は自由に取材をしてくださいね。もし熱が出たら保健所に連絡してください。ただし、お金を持っている人は特別に直ぐに入院させてあげますよ。コロナで医療崩壊しても政治家はちゃんと身体問題で入院できますよ。

 

そういう懸念が誰の頭にも浮かんでいる。自分は見捨てられる側として書類上は処理されるのではないか。そういう危惧を抱かない人間はポジティブすぎる。親や親類や友人や知人以外の誰がお前の命に価値があると言うのだ?

 

資源が不足した以上、全員に分配できない。ならば誰に配るのか。早い物勝ちか、人類史はそうはならないと断言する。結局医療リソースを如何に広域に展開するかという方向になる。

 

人工呼吸器だって作ってなくて足りない。今更作るって話も聞かない。そもそも使える人材を夏の間に育てたという話も、自動化に成功したという話も聞かない。という事は肺炎になっても打開策は注射と飲み薬しかない。あとは姿勢を工夫して楽になってもらうくらいである。

 

肺炎になる前に、なるべく薬をぶち込んで治るかどうかは知らない、副作用は覚悟しておけ、あとは医者のせいじゃない、という戦い方しかあるまい。ホテルを借り切って、少々の重症者も、そこで薬で治すという方法しか残っていないはずだ。

 

回復者には月一回の献血を義務付ける。その代わりに1回2万払う。二週おきなら8万の上乗せ。売血云々はパンデミックが終わってからゆっくりと論じればいいのである。その血液を各地の病院に配りまくる、もちろん、その安全性をどう確保するかは知らない。ただ血漿は有望な治療法であったはずだ。抗体検査もバンバンやって軽症者や回復者を探しだす。PCRもするがいい。軽症者が見つかればそれは万々歳だ。回復者だったら天の贈り物だ。

 

恐らく、今後はほっておいても重傷者のリスクが高まる。なにせ機材が足りないのだ。少しでもそれを軽減するにはどうするか、そういう方法があるなら、世界中が飛びつくはずだが、いまだ聞かない。ワクチンが人口当たり、どれくらいに接種したらパンデミックが下火になるかの推定も聞かない(40%と出ていたような気もする)

 

そもそも医療崩壊が日何人の陽性者で起きるかの見積もりさえ誰も知らないのだ。口ではなんともで言えるからね、である。今必要なのは、医療者が有望と思える治療法を列挙して、それを広く早く安く実施する方法を考案する事、広域に展開し、例えば10万人の中症者程度なら、なんとかまわせるというオペレーションを確立する事、そして扱える重傷者の数を少しでも増やせるようにする事、肝心なのはそれ以外の一般外来を通常に戻す体制にする事。

 

つまり、感染してもここまでなら医療体制は耐えれるという推定人数を公表する事に尽きる。全てはそのための時間稼ぎだったのではないか。もちろん、ワクチンが状況を変えるまでの時間稼ぎだったのである。その前に開戦したのだから当然プランBが必要なのである。

 

Covid19: the first 21th pandemic. These are the medical fight of the all people. Its continuing science: to develop strange new vaccine, to do PCR and antibody test, to boldly go where no one has experienced before.

 

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