全国で新たに3024人がコロナ感染 初の3千人台

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取り敢えず5000迄は右往左往しないと決めてる。

 

増加に関する懸念は、何時、どれくらいが、という話になるから、こんなものは、上陸作戦が起きるのは当然として、何時、何処で、どの規模でを想定していたナチスドイツと全く同じに例えられる。D-Day では悉く予想は外れたみたいだが、こんなものはあらゆる会戦で予想され準備され移動して待って、号令されてきた。そして戦争の趨勢は戦う前の準備でもう決まっていると孫子も語っている。

 

故に、日本の専門家たちも口には出さないが、プランA、B、Cくらいは想定していたはずで、冬の間にどの程度の感染爆発が起きるか、それはどの程度の規模でどれくらいの期間で、どの程度の増加率で推移するかは想定していたはずである。それが出来ないと言うなら、4月や8月のアメリカやヨーロッパのデータをそのまま当てはめてシミュレーションすればよい。

 

そして手持ちのリソースがどの程度で飽和するかを計算するのはそう難しくない。感染者の増加曲線から、重篤者の割合を出し、その積分値が必要な病床数を示すはずである、回復者の数を引けば感染者数と必要な病床数は求められる、だぶんね。

 

で、その数を基に、どの程度のオーバが発生するかから、+20%、0%、-20%でプランA,B,Cが決められる。当然、原子力発電所で裁判官が指摘したように予測の上は前提としておかないといけない。それも簡単にできる。アメリカの数値をそのまま導入すればいい。その時、この国の医療体制がどうなるかなんて簡単に予測可能だ。

 

予測は常に簡単な数式だからそう難しくないのである。問題はその後。極めて簡単に病気を抑え込む事は可能だ。そんなものは4月の時点で誰の目にも明らかだった。全員を家に閉じ込めればいいのである。それをヨーロッパはやってみせた。

 

しかし、これは免疫を得た結果ではないから、何の問題解決もしていない。隔離は問題の先送りであって、先送りする間に、原因が消滅する事を願う方法だから、当然だが、ヨーロッパではまた増加している。クリスマスくらいは自由に過ごさせたいからと11月にロックダウンを実施した。フランスのデータを見れば、効果てきめんで、もちろん、これは問題の先送りである。

 

原因を解消する一番の方法は全員が感染する事だし、スエーデンの方法論はそれを目指したものだ。被害0はあり得ない。どうしても被害は出る。問題は誰がどれくらいの被害になるかである。家族からすれば、誰が被害を受けても悲しい。例え家族が犬や金魚でも悲しい。

 

だから多くの医療関係者がこの疫病が老人に対して被害が大きい事を幸運だと思っているはずだし、天然痘狂犬病のように凶悪でなかったと安堵しているはずである。医療機関が崩壊を懸念するのは、単に患者数にリソースの問題だし、それを避けるのはひとつの方法しかない。リソース以上の要求は全て拒絶する事だ。

 

つまり、早い物勝ち、恐らく、特定の金持ちや権力者を優先する事になる。すると、そうでない人は治療中でも退院させなければならない。それが現実になる。そういう嫌な役目を追うのは現場の医者である。恐らくPTSDになる。そういう心理的負担の問題がある。だから、彼らは恐怖する。今はまだ仕方ないという言葉でその他の病気の患者の手術を延期したり、退院させたりした。そこまでは自分を納得させる事ができた。しかしこの先は…

 

リソース不足が戦争の原因だとしたら、これは戦争である。その最前線にいる医者たちの疲労、精神的肉体的な、は限界を迎えつつある。それがたった500人/日で起きた。東京のキャパでこれである。地方都市など押して知るべきである。とても1000のオーダーに耐えられるとは思えない。100機を超えるB29の来襲に何機の紫電改を飛ばせたか、その数字を見るような気分である。

 

当たり前だが不足したリソースを補うには、学生を参加させるしかない。アメリカもそうしたし、人工呼吸器が足りないとなれば、生産設備を持つあらゆる企業が製造に参加した。同様の事はどの地域でも起きた。

 

そのような中で期待されるのは、医療崩壊する前に罹患した人たちで、早い話がこの人たちはこの冬を殆ど何の心配もなく乗り切れるのである。患者があふれる病室でも鼻歌歌いながら行動できるはずなのである(少し誇張している)。

 

もちろん免疫を獲得する事は、二度と罹患しない意味ではない。再び感染しても軽症で済むはずという話である。上手くすれば初期免疫でウィルスを封じ込める。感染して少ないながらもウィルスをまき散らす可能性はある。しかしどうせ患者しかいない区域ならそう気にする必要はない。

 

自分が吐き出したウィルスを再度取り込んで、また体内のフカフカベットを提供する悪循環が病気の治りを悪くする。だから風邪を引いた時はこまめに換気して、ウィルスを外に追い出す必要がある。

 

ここまでは恐らく医療的な問題、医者の心理学であるが、最も気にしなければならないのは、社会的な人々の行動である。これが経済に直結する。世代間で病気への脅威が異なる以上、世代毎で対策が異なるのは必須で、例えば低リスクの20代と、高リスクの70代が全く同じ方法で立ち向かうべき病気ではない。

 

このふたつの層を例えば、都市単位で完全に分離すれば話は簡単になる。70代以上の全員をどこかに疎開させるなり、隔離するなり、収容する。実現性は別にして、隔離、つまり、物理的距離を離す事が最大の対策であるから、これは有望なはずだ。

 

それが難しいなら曜日毎に外出制限をするとか、立ち入り禁止区域を設けるとか、そういう隔離政策は対策になりそうと思う。だが、もちろん、完全な隔離するなど、アメリカ南部で黒人と白人の間でさえ不可能であった。という事は現実的ではない。

 

だが、現実に目の前にある経済的問題の殆どは、低リスクと想定される人々の行動を制限しているから起きているのであって、その制限にしても、罹患すれば重篤する人も含まれているだろうから、医療的にみれば推奨できない。しかし、それなら全員をロックダウンするのかと言えば、そんなことすれば経済的に潰れる業態が多数発生する。

 

国家としては金を使う政策を推進するしかない。もしそれが危険と批判されるなら、本当なら使うであったお金を、人々が使う変わりに政府が変わりに使うしかない。これをするには、人々が旅行したり外食に使用するであったろうお金を預かり再分配するしかない。つまり増税である。

 

しかし、政府の再分配機能については安倍政権以降、よく分からんお友達優遇がデフォルトになったから期待できそうにない。政府への不信はコロナ成金になる連中の顔振れを見れば、まずます強くなる。何が起きているか誰だって理解できる。

 

この不信が違う国なら革命である。よって日本の警察はそういう動きに対して抑え込む方向に変わる事になる。強権と賄賂にまみれる警察に変貌するのか、それとも市民とともに歩む警察になるか、今が正念場である。

 

予想に反して右肩上がりとはいえ感染者の増加率は小さい。これが多くの人の行動様式に基づくものである事は間違いあるまい。もともと、人との距離を遠く離す習慣が有効だったのか。または会話する時の向き方か、満員電車が示すように会話をしない事が重要なのか。無口な人とおしゃべりな人、社交的な人でそうでもない人では罹患率に変わりがあるのか、これは十分にありそうだ。

 

いずれにしろ、政策をどう実現するかは難しい。GOTOを止めた方がいいと専門家は提言する。確かに人の移動は病気が拡散する唯一の原因である。そんなことは誰だってわかっている。ならばGotoの出発元と行先の地域に、感染率の上昇に、相関関係が見出せるのか。ならば東京、大阪、札幌が爆発しているという事は、この三か所は、Gotoで多く人が利用していなければならない。Goto 利用者と比例していなけれあばならない。どうもそういうデータはないのか、それとも論文を書いている真っ最中か、あまり聞かない。

 

しかし、第三波の最大の理由は冬の到来と考えるべきだし、この冬が厳冬になれば、若い人でさえ安心できない。そして今年は厳冬である。今頃ゆうなよという気もするが、8月頃にはそういう予想は出ていた気がする、つまり準備する時間は沢山あったのである。

 

色んな人がいろんな発信をしている。こうした方がいいのじゃないか、これに注意した方がいいんじゃないか。だが、この国の基本スタンスが責任を取らない事にある。そのため、責任を取る行動を人々は忌避する。情報を提供する事はあっても、それに基づいて誰かが決めるのであって、自分ではない。もちろん、何かを決める必要がある場合は、組織が業務となるように制度設計されていなければならない。

 

この制度設計が曲者で、今年のように予期せぬ事が起きた場合に、どこにも責任の所在がない、人がいないというより、そういう人をそういう立場に配置する仕組みがない。責任の範囲は組織に割り付けられるから、この国の人は、それを超える事を嫌う。

 

それは何も自分の保身ではない。その役割を担う人がいるかも知れない、そこに過剰に入り込む事は、その人の邪魔をするかも知れない、そういう風に考えが働くからだ。これは個々人に対する問題意識が互いの信用の上に成り立つ組織である、という証拠でもある。

 

恐らく、パンデミックに対して、この国には、責任を負って対策する部門がどこにもない。そのため今は寄せ集めでやっている。だから責任者は誰か、と聞かれたら、全員がこういうはずである。私ではない。この組織が進言する先のどこかにいるはずだよと。

 

その先は首相ではないかと思われるが、首相がウィルスと細菌の違いを知っているものか。知っていても専門家ではあるまい。医療的な要望は理解しているだろう。観光業の悲鳴もたくさん聞いているだろう。企業の事業悪化の相談もたくさん聞いているはずだ。しかし、それを統合してベストな政策を練り上げるのは首相の役割ではない。首相は、良いと思う政策の実行にGOサインを出す迄で具体的な政策を立案するのは官僚だ。

 

そして、パンデミックには総合的な政策を必要とする事は明らかではある。つまり、誰を見捨てるのか、誰に諦めてもらうのか、努力はしても保証はしないと、誰に向かって言うのか、それを決める必要がある。医療の限界に基づいて政策を決めるならどれほど簡単か。医療の限界をどの程度まで超えるか、その時にどれくらいの被害が出るか、それでもそうすると決める必要がある。

 

被害を想定した上で政策を立案するのは戦争や災害派遣などを思いつく。軍隊はその前提を避けえないから、そういう発想でものを考える。しかし、よく考えればどのような仕事でも、一つ間違えれば被害は出るのである。人は死ぬのである。その被害を0にする事を誰もが目指す。毎日稼働している工場に0災害という標語が掛かっている。つまり、0はないのである、ちょっとした事で被害が出てしまうのである。

 

誰だって被害が出る危険性との隣り合わせで仕事をしている。今日は事故が起きなかったのは、小さな積み重ねの結果である。そして幸運である。そしてどれだけ積み重ねても被害が避けえない状況はある。医療はその顕著なひとつだろう。どれだけ注意しても全員を助けられるわけではない。

 

その決断をするのは難しい。そして、決断をしなくても人は亡くなってゆく。医療崩壊すれば、病気で亡くなる人が増えるはずで、医療を守れば、職を失い犯罪に巻き込まれたり自殺する人が増えるはずで、これを両立する方法が今の所ない。これが専門家たちの見解である。この半年間、だれも研究してこなかったのか。そう言いたくなるだろう。

 

世界の政府が行っている基本はワクチンを打つまでの時間稼ぎである。それまでに有効な方法に何があるかを医療専門家は提案し、経済を支えるため、人々の行動を後押しするには、どのようにすればいいか。その観点から医療専門家に求められたのは、感染を防ぐ行動様式は何かである。良く知られた換気、マスク、手洗いうがいにある。

 

しかし、秋以降、恐らく人間の体も季節替わりから冬に向けての何等かの変化があるのだろう。それに応じるように感染者が増加しているのは風邪として見れば当たり前なのだろう。これを完全に封じ込めるには、まだまだ知見が足りないようである。マスクをして手洗いをしっかりしても感染したと吐露する人がいる。

 

この冬も罹患せずに乗り切れると思っている人は自信過剰だろう。逃れられないくらいに考えておく方がいい。重症化しなければいいのだが、軽症と思われた人が急に悪化して死亡したニュースも流れている。これはもう仕方がない。そういうもの迄を潔癖に要求すると何も出来なくなる。責任を取れるのですか、と問われたら、取れないからやらないに置ちつく。これが日本式の方法論である。

 

故に責任を取れるのかと聞く者たちは何もしない事を要求するのと同義であり、そういう人たちが状況を固定化し、ただ黙って嵐が過ぎるのを待つ事を強要している事になる。そういう意味で、これらの問題は、医学でも経済学でも工学にもない。この国の社会学の敗北であろう。