公園、非3密でも要注意=「すいた時間・場所選んで」―専門家会議

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状況は、専門家会議がいう事は正しいという前提で誰もが話し始めた。当たり前の話をするのに、専門家会議の指摘など必要ない。人のいない空間では感染濃度は低い、だから安全性が高い。これは専門家の話を聞くまでもなく当たり前。

 

たとえ公園であっても、人の数が増えれば感染濃度は上がる。そのぶん、感染率は高まる。これらは常に比較の問題であって、完全な安全というものはない。坂本龍馬の手紙にも風呂場できんたまつめわりてと書かれている。

 

屋外で、どれくらいの人が集まった場合にどれくらい危険であるか、屋内でどのような状況が危険かは、幾つかの知見はあるが、決定的なルールは専門家も含めて誰も知らない。

 

だから発生源となった場所は危険とマークを付けてゆくが、その説明が出来る人はいない。ライブハウス、カラオケボックス、バーなどが危険というのは経験則である。これらは会話の発生、興奮による呼吸過多、空調の問題などが絡む。感染の経路は吐いた空気をどれくらい吸い込むかで決まる。それに、手に接触した濃厚な部分の取り込みで決まる。

 

だからライブハウスが危険なのに、満員電車がクラスターになっていない理由は誰も説明できない。しかし、今の知見では危険である、だから電車は控えようという話になる。むろんニューヨークでは地下鉄がクラスターと指摘されている。だが、それは東京の通勤電車や新幹線がクラスター源にならなかった理由を説明しない。

 

当たり前すぎるが、新幹線よりも強力な密閉空間は考えられなかった。だから全国にすぐに蔓延すると考えるのが当然だった。しかし現実は違う。だから、何か見落としがある。そういう話があらゆる所にあるから、誰もがどの行動が危険でどの行動が安全かは分からない。

 

空調設備の能力が感染率に大きく影響するのかも知れない。会話の大きさや時間が感染率に影響するかも知れない。どれだけ多くの人が集まろうが、台風の中で屋外でどれだけ集まろうがクラスター化するとは思えない。そりゃ人工呼吸でもすれば感染はするだろう。タッチじゃないんだから。

 

だから「専門家会議」というキーワードが便利であるという結論に至る。やる理由もやらない理由も根拠に専門家会議を持ち出せば説得力が増す。これについて専門家会議にも誤謬に対する危惧はあろうが、ここまで来て、自分たち自身の不安を表明する訳にはいかない。信頼性の根拠を失えば、崩壊する事が分かり切っているからだ。

 

そしてマスコミが部分を切り取り、誤解と正義を煽るような売文をする。さて、公園が危険である。公園も禁止した方がいい。そういう論調を進めるような書き方をする。そして、そんな馬鹿なという人もいれば、そうしないと馬鹿が蔓延するという人もいる。

 

そりゃ、1ルームを世界中の人口分だけ作り、ひとりひとりをその中に閉じ込め、毎日の食事とスマホとテレビを与えておけば、ひと月もすればこの騒動は治まる。人類総ブロイラー計画である。これも回答のひとつだし、隔離政策を進めるとは基本この方向に向かうのが当然である。

 

鳥インフルエンザの時のようにブロイラーなら鶏舎全部を処分すればいいではないか。そういう結論だって不可能ではない。危機が強まればそういう方向に向かうに決まっている。天然痘患者を差別した人々も聞けば正当な理由を言うだろう。それが隔離を合法化した。もちろん、今も幾つかの病気は隔離の対象である。当たり前である。

 

問題は、専門家集団も、一市民もこれ以外の方法を知らない事だ。ワクチンの開発、特効薬の開発、効果的な治療方法なども見つかりつつあるが、恐怖を抑え込むには、その方法しかない。そしてその答えがもし見つからなければ?

 

恐怖に打ち勝つ事は不可能である。専門家集団は、それに対抗する恐らく唯一の存在で、まさか、ここが張りぼてであるなどと誰も信じたくない。当たり前すぎる話だが、問題の核は医療にはない。社会学である。医療を刀として手に持ち、疫病に立ち向かう。それしかない、というのが、全体像であろう。

 

病気に対する対処は、先ず体がもつ免疫システム。新鮮な空気、汚染されていない水。次に食物による栄養素と体力。可能ならよく効く薬剤。そして医療的対応となる。

 

社会的には感染を防止するか、または計画的に免疫を獲得するための施策。必要なら全体で協力するのが望ましいが、それを支える経済の崩壊は避けなければならない。もし経済が崩壊したら何人死ぬのか、それと医療崩壊による死者は何人か、この数字は常に天秤にかけておく必要がある。純粋にこれは人数の問題である。

 

また高度に発達した国家集合として、国家間の争いと協調がある。この中には、その後の世界でイニシアティブをとるための働きかけも含まれる。経済的にどの国家も衰退するから、先に経済的復興を果たした国家が有利だし、ここで、多くの国に人道的であろうが、戦略的であろうが、より多くの援助を市民が理解する形で行っておく事は重要である。

 

たとえば中国製のマスクが made in china であるなら、これを世界中に配る事は、戦後の世界で made in china のステータスが変わる契機になる。パンデミックによる悪いイメージが持たれるかも知れないし、世界を救う絶対的な信頼のブランドに豹変するかも知れない。

 

世界中の人々の口にどの国の名がどういう場面で使われるかが決定的になると思われる。情けは人の為ならずとはいう。今や善は人の為ならず、を地で行く事が重要だろう。

 

とにかくマスコミのニュースにはよくよく注意する事だ。殆ど全てに偏見と差別と拒絶を加速化する内容が含まれる。なぜなら報道の内容とは関係なく、刺激するような内容のものしかニュースにならないからだ。刺激に対する人々のリアクションは様々である。全ての人が同じ反応をするようではニュース価値は低い。確かシャノンの法則に書いてあった。

 

医療従事者への差別が報道されている。多くの人はいけない事だと考える。だが、一部の人は確かに医療従事者は危険だと同意するはずだ。注意を喚起する事は、正義である。それが感染のリスクを減らすことになる。

 

善もまた難しい。