米副大統領、マスクつけず病院視察 ルール違反に批判も

www.asahi.com

 

アメリカの副大統領と言えば、いざという時は核ミサイルの発射ボタンを押す人である。その人にとって自分の中の合理性を磨く事を怠たるはずもなく、また、同様に空気に流されるなど断固拒否する胆力も鍛えているはずである。

 

ルールだから、という理由だけで核ミサイルのボタンを押して溜まるか、という日常を生きている人たちにとって、バカな発言をする大統領もそれを真に受けて洗剤を飲んでしまう狂った民衆も、同じアメリカ国民である。

 

だからといって病院内でのマスクを拒否してまで、話題になる事が政治的にどうなのかという話は、部外者はともかく、民主党陣営からすれば、ネギが鴨肉しょってきたようなものであろう。マスコミも絶好のネタである。棚から牡丹餅とはこの事かと雀躍しているはずである。

 

だが、WHOの勧告でも症状のない人はマスクをする必要がない、というものがあった。最近は知見が深まって、無症状感染者も感染源になる可能性があるという指摘も出てきた。よく調べると感染源は症状よりも年齢の方が強く影響するという話もある。

 

全ての人が無症状感染者の可能性があるなら、マスクをすることで、感染の可能性を低くする事は合理的である。特に病院などのシビアリスクの場所では意味も高い。よく分からないなら一律でやった方がいいというのはルール作りの基本である。病院だって、厳密に言えば色々とあるだろうが、それでは巨大組織は成り立たない。

 

だからルールにした。それに従わない人が来た。普通は入室を拒否すればいい。所が相手は副大統領である。その上にはあのトランプがいる。ここからは政治である。誰が出て行けと言えるか、マスクを差し出して拒否されたらそれまでである。この先は俺の仕事ではない、と思ったであろう。

 

つまりマスクはその程度のリスクしか持ち込まない、という判断である。医者がそう判断した以上、そう思うのは正しい。政治とはルールをひん曲げるためにある、そう語った王がいたとかいないとか。だから、入室を拒否しなかった。カメラマンたちも写真を撮った。そこにひとりだけマスクをしていない人がいる。不自然である。だれだ、こいつは。これが我が(アメリカの人たちのこと)国の副大統領か。

 

確かに無感染であるならば、検査からその瞬間までに感染していないとは言えないが、マスクをする理由はない。マスクは最大限、感染させないためにするものである。無感染ならその可能性がそもそもない。もちろん、他の病気を持っている可能性がある。それが病院にいる人にとって致命的になる事もある。そこまでは考えに至らなかったのであろう。

 

感染爆発を防止するには、幾つかの着目点があるが、ウイルスの流れをどこかで遮断するのが有力であろう。感染者の中で増幅させない事、増幅しても体外に排出させない事、排出されても他の人に届かない事、届いても体内に取り込めない事、取り込んでも増幅させない事、増幅しても症状を悪化させない事、悪化しても死亡させない事、これらがサイクルとなって、感染症対策も医学的対処も進んでいる。

 

体内で増幅させないためにワクチンを開発する。または自然免疫を獲得する。体外に排出させないためにマスクやコフエチケットを周知する。他の人に届かせないためにソーシャルディタンス、ステイホーム、クラスターとなる施設の臨時閉鎖を行う。体内に入れないためにうがいと手洗いを励行する。

 

さて、マスクは防御壁として働くかという話である。多くの人はそう考えているし、少しは効果があると思っているはずである。なぜなら、出てゆくものをシャットアウトするなら入ってくるものだってシャットアウトするはずである。これが基本的な理解である。

 

しかし、マスクの役割はウィルスを外に出さない事ではなく、ウィルスを含む飛沫を布に付着させる事である。飛沫というウィルスから見れば都市規模の大きさのものだから効果がある。ひとつひとつを完全に捕捉する事はできなくてもそれは仕方がない。この機能を担うのがサージカルマスクである。内から外に出る感染(OUT)を防ぐ事を目的としている。

 

では外から内にはいる感染(IN)を防止するのには何を使うかと言えばN95マスクになる。これは医療機関では絶対に必要な装備で、これが不足するのは、銃弾もなく戦争に行けと言われているようなものだ。だからこのマスクの優先度は医療従事者>一般である。

 

IN感染を防止するにはサージカルマスクも家庭用マスクも機能不足である。そもそも日本にはサージカルマスクへの認証制度がない。FDAはサージカルマスクにも認証を与えている。

 

これは恐らく日本のマスクはそれなりの性能をその競争原理によって有しているという判断なのだろう。いずれにせよ、綿マスクであろうと不織布であろうと、外に出さない機能には大差はないはずである。月光仮面の布切れであっても十分に機能は果たすはずである。

 

しかし、IN感染を防止するには性能が足りない。インフルエンザで実験した所、罹患率は100%であったので意味がないという結論になった。しかし、それは20%の可能性を何回繰り返したら100%になっただけではないか、ならば、実験期間が長ければいずれ100%に近づくのは当然である。

 

問題は、何回かを防止できるかという話で、付けている群と付けていない群で、例えば5時間遅らせる事が出来たという結論が得られたならば、そこには何回かを防止したという可能性が得られる(それ以外の条件もあるから断定はできない、それには別の実験が必要となろう)。

 

状況的に考えれば、空気中に漂う空気を吸う時、その多くは、周囲の空間から入ってくるはずである。布部分を通過する空気量はそんなに多くないだろう。だから、喋るとマスク部分はぺこぺこ動いている。呼吸によって空気中を漂うエアロゾルがどれくらい取り込まれるか、という話ならば、空気の入り口が小さければ、それだけ流量速度は速くなりそうである。それだけ多くを取り込む可能性は生まれないか。マスクをすることが返って感染を増加させる可能性がある。

 

しかし、反論としてはマスクが花粉症に効果がある以上(あるかどうかは知らない、併せて薬も飲むだろうし)、エアロゾルにも効果があると考えるのは妥当である。少なくとも、マスク無しよりもマスクがある方が流入量が減るのは当然と思える。

 

空気の流れというのはひとつの学問としても深いものがある。例えば鼻毛(Nose hair)の役割であるが、あの毛が何かを捕まえているという訳ではないのだろう。空気の通り道にあのような棒状のものがある事で空気の流れを変える。それが、押し返したり、壁に当ててから入るものもある。それが浮遊物が体内に入る事を防止するのではないか。だから必要なら鼻毛を抜いた人とそうでない人の感染率も研究すべきだと思うが、研究者ではないので知らない。

 

ウィルスがエアロゾルを吸い込む事で呼吸経由で感染するのか、それとも、実際は、エアロゾルが手や口回りに付着して、口経由で飲み込む事で感染するのか、どちらが多いかでもマスクの効果も変わってくると考えられる。

 

汗だって感染源になるのかどうか。今回のコロナウィルスは、喉や肺は最終地点で、その前に血管中を駆け巡るという話も聞く。血栓を作る点が独特の症状であるという話である。そのためその炎症を抑える事が対処療法としても効果的であるとも聞く。ならば汗からウイルスが排出されても不思議はないように思える。すると汗経由で口に入る事で感染するケースだって捨てきれない。

 

汗が原因ならライブハウスやカラオケボックスクラスター化したのにも納得できる。満員電車がしなかった理由も納得できる。冬だったから感染がこの程度で済んだ、これから夏になってもっとひどくなる、という考えも成立する。

 

いま世界中の治験が集まっている。その多くは偶々であったり、まだ分かっていない条件と組み合わせるだろう。幾つもの有望な治療法が見つかっては消えてゆく状況にある。

 

そういう中でマスクは、極めてシンボル的なものになっている。キリスト教で言う所の十字架と同値である。故に、マスクを踏みにじるものは棄教になるのであるし、踏まないためになら海中の十字架に張り付けられても構わないと言い出すのである。

 

戦いのシンボルであるなら、それを付けていない者は戦いに参加していないという分かりやすいレッテルが張られる。それが副大統領だったのである、ゆゆしき事態ですぞ、市民の諸君、と言いだす人も出るだろう。実際、マスクの効果などもうどうでもよくなってゆく。魔女裁判だって水に沈めて死ななかったら悪魔ではないみたいな裁判をしたのである。木を十時に結んだだけで突然に何か別物になってしまう、それを素直に信じる地球である。

 

今、我々に求められているのは、効果のある治療である。では団結はどうか、三密は避けろと言われてソーシャルディスタンスと言われたが、離れるのは物理的な距離だけで良い、心は繋がっていようと事で、今ではフィジカルディスタンスと呼ばれるそうである。

 

当然、団結がある以上、村八分はセットである。村八分にされる方が安全ではないかという考え方もあるが、村八分にされていては抗体を得る機会させ喪失する。アメリカ大陸に先に辿り着いた人々の子孫が天然痘のためにどのような目に合ったかを考えれば避けるべきである。

 

人々は危険なものを社会の外に排除する事で安全性を確保してきた。それが僅かな数であれば効果が得られる。しかしマイノリティも暫くすればマジョリティである。そうなったら排除は出来なくなるから取り入れるしかない。そういう歴史の積み重ねで人類は来た。

 

マスクはシンボルである。故に、このような報道がなされる。それを良い事とは思わない。と同時に病院の中ではマスクはした方がいい。しない事を良い事とは思わない。

 

それでもしたくなかった。その気持ちも分からないではない。だって、マスクってどんな新品でもなんか匂いがするんだもの。無臭じゃないなんて衛生的じゃないわ。