三菱UFJ銀行、提携コンビニATM手数料を引き上げ

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月の二日だけを無料にして、それ以外の日は150%の値上げ。それをサービスの向上と呼ぶ。しかも、本来は、多くの人から預かった金を投資などに使って利益を上げるのがビジネスモデルであるはずの銀行で、預かった金を払い戻すために手数料を取る。その業態は銀行ではなく、両替屋のそれである。為替の差額で儲ける事を同一通貨でやる仕組みは果たしてビジネスと呼べるか。

 

しかもこの緊急事態の渦中に実施する。経済は6月にも崩壊する危惧がある。市場そのものが崩壊するかも知れない時に、果たしてこの銀行は何をもって商売とする気か。

 

日本人に緊急事態を乗り切る力はない。緊急事態が何かさえ理解していないはずである。それは逆に言えば、それが厳しい自然の中で身に着けた達観であるように思える。日本は世界的にも自然を征服対象としてこなかった民族である。

 

征服するには日本の自然は強靭すぎた。規模や高さだけなら日本より厳しい自然は世界中に幾らでもある。だが、そこは元来人間が入り込まない自然である。農耕のすぐ隣にある自然としては厳しい部類であろう。

 

そこで、母親は幾ら蹴っても大丈夫と信じている子供みたいなもので、自然はどうやっても壊れないという純朴ではあるが、知能としては低レベルの自然観、信仰が醸造された。キリスト教が、砂漠のような世界で生まれ、ヨーロッパの深い森の中で発展したように、日本の自然の中では独特の仏教が育まれてきた。もしキリスト教が日本で生まれれば全然違ったものになったに違いない。

 

宗教といえども自然環境から逃れる事はできない。そうして育まれたのが、自然を脅威と見做さない、日常として最初から対峙する達観であろう。だから、根本には緊急事態という考え方ができない。緊急という一時だけでなとかなる自然ではなかったのである。

 

その性向はあの戦争でさえ変わらなかった。アメリカと戦いながら、なんとも呑気でバカげた戦略しか作り上げられなかったのである。戦争の最後の最後まで、陸海軍では学校の卒業順位が最も影響を持っていたのである。能力も適正もその後の話であった。まじめに戦争ひとつできない民族である証左であろう。

 

同様に日本は IT 化にも失敗している。官庁の資料がデータを活用したいものでさえPDFで提出され、エクセルは方眼紙フォーマットであると聞く。これが官庁だけでなく大企業でも同様で、IT業界の大手でさえ方眼紙エクセルを使うという恐ろしさである。

 

この国はITを自分たちの側に極力合わせようとした。その結果、ITの強みを失っている。それでいてITに対応している気になっている。それで時流に乗れていると思い込んでいる。

 

ITは対応すべき社会変革ではない。ITは変革を強いる。考え方を変える事でしか対応できない。それは今までのデータの流れが変わるという事である。根本を変える必要はないが、流れが変わる。昔の航路図は役に立たない。

 

銀行業界は、昔からコンピュータの導入には積極的であった。汎用機、メインフレームと呼ばれる堅牢なシステムで、サービスの拡充を行ってきた。そこにInternetという黒船が到来した。

 

例えばC&Cを標榜するNECであるが、コンピュータ&コミュニケーションという流れは正しく未来を見通していたように見える。所がインターネットが実際に乗り込んできた時、重要なのはコミュニケーションではなかったという事態に陥る。

 

本質はネットワークであった。少なくともアメリカから到来した技術はそのように構築されていた。データのネットワーク、コンピュータのネットワーク、人材のネットワーク、コミュニケーションはネットワークの一部に過ぎなかったのである。

 

コミュニケーションだと一対一の関係を思う。ネットワークは多対多という雰囲気。組み合わせの絶対数が異なる。

 

数が増えただけで何が変わるのだという話はある。基本であるコミュニケーションさえ押さえておけばネットワークなぞ応用問題に過ぎない。これも確かである。どこが違うのか、どこで遅れを取ったのか。

 

そこがどうも分からない。だが一斉に入ってきたのは異なる文化であった。それまでの考え方が通用しない方法であった。コミュニケーションで培ってきた文化が、ネットワークで培われた文化と対峙した。

 

彼らの方法は速度を重視する方法だった。そのトレードオフとして品質は下げた。それでも上手くいくという考え方が主流になった。恐らく工学的にそれまでない考え方だったはずだ。ソフトウェアという複雑さは、ハードウェアを中心としたエンジニアリングでは制御できるようなものではなかった。組み合わせが莫大で正直にやれば階乗的に増えるような特徴があった。

 

つまり、日本はソフトウェアに対応できなかったともいえる。優れたエンジニアは沢山いるが、社会がそれを受け入れる事ができなかった。日本の敗戦はエンジンの敗北であった。そこから日本の製造業が始まったといっても過言ではない。なぜエンジンで負けたのか、QCという考え方、生産設備、流通経路、様々な点でアメリカの方法を取り入れた。

 

そして内燃機関ではアメリカに引けを取らない製品を作った。アメリカの製造業は日本の前に敗北する。だから彼らは金融とITに舵を切った。そう、その時、アメリカに勝利したその瞬間に、日本の製造業は最先端ではなくなっていた。

 

というよりも彼らが新しい市場を、主に若者たちの夢と野心によって、生み出したのである。そこに生まれたエンジニアリングは従来と全く違う。Windows は何度もブルースクリーンで大切なデータが消失させたが、誰も使うのを止めなかった。保存していないお前が悪い、それで済んだ。

 

ほんの僅かな部分でさえそうだった。この変化があらゆる面で変革を強制しなかったはずがない。そのパワーに最も純粋なブースターを取り付けたのは中国の人々であろう。日本で一か月かかる事を西海岸は一週間でやる。同じことを上海は一日でやる。そんな都市伝説を聞くまでになる。日本が高性能を言い出した頃、日本の斜陽化が始まった。高性能という言葉は武器が変わったのを認めたくない心理に過ぎなかったのである。

 

この変革から銀行だけが例外だったはずがない。おそらく中国の金融とアメリカの金融と日本の金融は、全く同じ業態でありながらも違う方法論を持つ。時流に乗るから偉いわけではない。日本型の方法論が、巡り巡ってまた時流を掴む可能性もある。しかし、それは変革を目の前にして変われるものだけが手にする栄光ではないか。

 

恐らく、このパンデミックで世界は変わる。どう変わるか分かる人はいない。どの方法論が時流に乗るかは誰にも分からない。だが、自分の方法論を持つ事でしか、時流に乗る方法はないと思われる。漕ぎ出でて風を待つしかない。浜辺に居ても潮流には乗れない。

 

変わるのも方法論なら変わらないのも方法論のひとつである。だが、変わる事を好ましいと思う。変わらないのも変わるの一形態だとしてもだ。