「大型商業施設の休業必要」医師会長 強力な対応求める

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結局の所、日本の医療従事者は素人だと思う。特に感染症対策については研究をしてきたわけではない。この国では既存の仕組みの中で、最低コストにおける最大効果を目指して予算を極限まで削減しようとしてきた。

 

パンデミックが起きる前までの近々の課題は、高齢者医療であるし、それに伴い考えられる様々な病気や障壁に対する備えであった。それが高齢化社会の到来からも予想できるように、医療費高騰は間違いなく、それを如何に抑えるかが課題であった。

 

限られた予算の中でどのような体制を敷くかが最重要課題である。これはつまりは誰を切り落とすかを制度設計の中に組み込むという意味であって、近く、そのような体制を取らざる得ない事は、現在の予算から簡単に計算可能だったはずである。

 

そのような医療体制でこの国はパンデミックに突入する。もちろん、世界中のどこも医療制度にはそれなりの利点と欠点があり万全の備えで対応できた地域などどこにもない。ウイルスは広く突入してきた。内戦中であろうが、平和な地域であろうが関係なく、世界中に蔓延する。それぞれの地域がそれぞれが持つリソースで立ち向かうしかない。

 

日本は世界的に見ても、不思議と感染者数が増加しなかった地域のひとつである。しかし、全体的に見れば、ヨーロッパ系で酷い影響を受けているように見える。民族別、人種別の比較をした訳ではないが、感染者数の上位10国が、アメリカ、インド、ブラジル、フランス、ロシア、イギリス、トルコ、イタリア、スペイン、ドイツ。

 

もちろん、自己申告の感染者数だから検査していない地域と感染していない地域は同じに見えるはずである。それでも、アジア系は少なく見える。

 

それでも感染者数が世界的に見て少ない事は、日本の医療体制については全く役に立たない。日本の医療体制は一日一万の感染者の発生には耐えられない。しかもとてもユニークな事に一年が経過しても、それに耐えられる医療体制を構築できなかった。この民族が大規模化を不得意とする証拠であろう。

 

アメリカは確かに酷い被害を受けているし、その間にもBLMなどで国内は揺れに揺れた。それでも世界に率先してワクチンを開発し世界中に提供している。日本はワクチンの製造さえ未だ不可能である。中国、インドも自国産を作り(効果は少し低いにしろ)対応しているにも係わらずである。

 

医療者はここに来てもより強い対応をと要求するがロックダウンという言葉を出さない。それは卑怯であろう。ロックダウンを要求したら非難される、その非難との引き換えにどれだけの体制を敷けるのか、一日10万人に耐えられる体制を敷く事が要求されても不可能である。仮に実現したとしてもパンデミック終焉時には、医療事業者がばたばた倒産する事を覚悟しないといけない。そうなっても政府は絶対に救いの手を伸ばさない、そういう確信があるのだろう。

 

医療はその限界の低さの割りに、人々の心は緩みっぱなしである。そりゃ緩むと思う。2021冬の第三派があんなにも急激に落ちるとは思いはしなかった。あの程度の対応で、これだけ急激に封じ込めれるのである。次もきっと大丈夫だ。ヨーロッパの強烈なロックダウンとは比較にもならない。

 

もしかしたらロックダウンする必要はないのではないか、抑え込むのに本当に必要なものは違うのじゃないか、人が一日にすれ違う人の数か、それとも会話する量か、その距離か。未だにアルコール摂取時と非接種時での罹患率の違いさえ論文にない。

 

日本の医療界の要求は百年前の1918年パンデミックと殆ど同じなのである(2300万人罹患、38万人死亡)。そういう意味では、これだけ科学的知見が増えたにも係わらず、大衆に対しての要求は北里柴三郎(東大閥が彼にした嫌がらせは現在にも通ずるくらいの下衆さである)と殆ど変わらないのである。だから素人と呼ぶ訳である。専門に関してはどの医者も専門家である、しかし、今回のウイルスについては本質的には全ての人が素人である。

 

一年たってもロックダウン以外の要求ができなから素人と呼ぶのだ。ワクチンはあるが、日本には手が出ない。感染者に対してどのような治療をすればいいかの知見は現場では蓄積されてきたが、家庭で療養する人への処方箋ひとつ確立していないようである。

 

感染者が増えればどうしても中程度以下の症状の人は家庭で抑え込むしかない。ならば家庭で処方する薬が必要なはずだ。それを大量に備蓄できているか。B29を迎え撃つのに、MIG15が無理だとしてもせめて雷電くらいは欲しい。それが竹やりしかないと言う状況なら、専門家は必要ない。または専門家とは呼べない。

 

結局、大規模な展開が難しく、わずか数小隊で敵の旅団を迎え撃つくらいのアニメならロマン、ゲームなら無理ゲー、実話なら悲喜劇であるような事をしなければならない訳だ。これは本当に辛い戦いだろう、それ以外の方法があるなら教えてくれ、もっとリソースを寄越すなら別の戦いをしてみせる。

 

そう言いたいはずである。つまり、素人と呼ぶのは、彼らの専門性の問題ではない。この装備では、この準備では、この体制では素人然とした戦い方しかできないというのが結論だ。

 

それでも多くの事を気にして言いたい事の全てを我慢している。オリンピックなど早く中止してくれ、東京の面倒までは見きれない、経済へのケアは誰がやるのか、飲食店がばたばた潰れるのを医療の責任にされても困る。ロックダウン時のストレスはどうやって対応するのか、誰が主体となってケアするのか、難題は山積みである。

 

少なくともこの一年で誰かがいつでも対応できるように研究をしていたという話は今日も聞かない。光子力研究所がその機能を失おうとした時に、科学要塞研究所が直ぐにその後を引き継いだのは、特に互いの連携がなくとも、それが可能だったのは、その日が来る事を予測し準備してきたからである。

 

数多のとんでも論ならこれも含めて雲霞の如くある。玉石混交の中で、どれを選ぶか、それは専門家に託すしかない。選択肢を失う時、どれほど優れた専門家もまた素人にしか見えなくなるのである。