世界最速スーパーコンピュータ、中国の「天河」に 日本のTSUBAMEは4位

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毎年、新しい車が作られるように、スパコンも開発されている。売れる車もあれば売れない車もある。スピードが出ない車でも高評価なのもあれば、早い車でも売れないものもある。

 

何故スパコンの評価が速さだけかと言えば、それは市場が成熟していない証拠ではないか?

 

車にもターゲットがあるように、スパコンにもターゲットがある。目的が違えば、速度に求められる内容が変わってくる。

 

費用、運用コスト、そして計算速度、バランスの問題だ。

 

毎年最速の名を冠するコンピュータが選出される。開発計画や開発費用、投入した技術者の人数などを報道せず、速さだけに焦点を当てられても比較としてフェアではない。

 

更に言えば、開発に何年もかかるものなので、それが完成した時に実際にどれくらいの順位になるかは、今からでも分かってる人は知っている。

 

今年一位だから凄いで終わるのではない。ここから始まるものだろう。

 

毎年選出されるものと言えば、この国にはM-1王者がいる。かつては、M-1王者であるだけで圧倒的な人気が出たものだ。だが今では、王者であるだけでは生き残れそうにない。

 

M-1王者になったとはいえ、審査員である紳助や松本の手の平の上。けっして頭が上がらないではないか。

 

同じように高速であるだけではスパコンも生き残れない。勿論、遅くていいものではないが、速さだけで凄いというのは何も見ていないし、何も語っていないのと同じではないか?

 

技術立国という言葉は好きになれない。技術畑に進みたい人は進めばいいし、研究するのに予算獲得に頑張るのは当然の行為だ。だが、国を技術で成立させると主張するのなら、単に技術系の開発に金を投入すれば済むものではない。

 

技術では飯は買えない。技術で食っていくとは、それを売るという意味だ。だから、技術立国を語りたければ、技術者、エンジニア、科学者、研究者だけではダメで営業する人、つまりセールスマンを育てなければ道理が通らない。

 

電気がない所にテレビを売るのは難しいだろう。だが電気と一緒に売るなら可能性がある。売る人のいない技術で技術立国が成立するわけがない。

 

では、今この国にどれだけのセールスマンがいるというのか。この国を立国しているのは技術ではない、セールスマンではないのか?

 

もし、技術を進めたいのなら、日本人だけでやろうとしないで色々な国の人をどんどん取り込んだほうが良くないか。アメリカがそうであるように、多民族国家を目指すべきではないか。


日本人だけでやるよりも、優秀な人に各国から来てもらってチームを作るほうがいいに決まってる。色々なアイデンティティ、異なる文化、違うバックボーンを持つ人が集まるほうが多様になる。多様さは常にアイデアの総数で有利だ。

 

しかし、在日朝鮮人の問題さえ解決できないし、朝鮮系日本人という存在さえ認められそうにないこの国で多民族国家はずっと先の議論(議論を始めるのさえ)だ。

 

日本は、江戸時代の藩という体制があったためか、県民性というものが強く残っている。ここに多様性がある。この多様性は近年、薄れつつあるようだが多様性の基盤になっている。

 

技術立国というのは簡単だが、その裾野は広く、それぞれ深い。基礎研究から始まり、数多くの研究分野がある。それでも、研究者になりたいなら何学部というのは分かりそうなもんだが、セールスマンを育てる仕組みは、この国のどこにある、何学部に行けばいいのか。

 

優れた技術があるのに売れない漫才師がいるように(M-1チャンピオンでも)、優れた技術でもセールスマンが歯牙にもかけなければ世界一で何が嬉しかろう。もちろん、売れないから無駄な研究、と短絡するもんでもない。

 

中国が世界一のスパコンを作ったのは喜ばしい事だ。日本の開発者も、あれなら勝てる、とか、上手い事やったなぁと感心している人達がいるだろう。


こういう人達がいて、各国が切磋琢磨することが、明日の世界一を現実にする。取られた世界一は取り返してもいいが、その次で必ず取り返される。そうと知っていれば、世界一の称号を喜ぶのはセールスマンだけでいい。それも売り込みやすくなる程度の理由でいい。

 

技術者は、自分の作ったものであればこそ、それが敗れる日がある事も知っている。それ以上に開発したそのコンピュータが動く事の嬉しさを知っている。それがどういう目的で作られ、どういう使い方で能力を発揮するかも知っている。

 

知人がM-1で優勝すれば嬉しいだろうし、自慢もしたくなる。だが、赤の他人だったら優勝した所で何の自慢があろうか。だが、日本人がノーベル賞を受賞すれば嬉しいし、自慢になる。

 

と思うのも何かおかしい。技術立国というものは、そんな小さな自尊心の先にはありはしない。世界一だのノーベル賞などそんな言葉が持つ説得力に屈してはいけない。


技術立国ではなく、あるのは経済立国だろう、と思う。