2号機の燃料棒 再び完全露出

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TVの報道は難しい。


専門家も素人も満足させるような情報を適切に伝えるというのは至難だ。例えば、燃料切れで給水が停止とあるが、燃料切れの理由が見回りにあると言うのも疑わしい、疲れて寝てしまったのじゃないの、というのが本心だが、それを咎める理由は感じない。

 

何人が作業に従事し、どれだけの労働を強いられているのか、一定時間での交代が必要だし、十分な休養は取れていたのか。どういう労働環境に置かれているのか報道からでは分からない。

 

別に真相を究明せよと追求する気はないし、それは、彼らのただでさえ忙しい状況を、無駄に不要に圧迫するだけだ。それは邪魔である。

 

現場とはどのような連絡体制を敷いているのかも気になる。スピーカーをずっとON状態にしてNASAの宇宙船と管制官のように常に会話する体制は取れているのか、それとも、時たま電話で連絡するだけなのか、FAXで報告しているのか、もう全ての通話をだだ漏れさせちゃえよ、とも思うし、そっちの方が負担も軽くなるように思うが、それは、素人を無暗に不安に陥れる懸念があるだろうし、それ以上に社会的な圧力が掛かって自由な判断を制限される方が恐ろしい。

 

つまり、素人は口出しするな、というのが本心だろうし、僕でもそうする。ROMってるだけと制約をしてくれるなら、何でも公開するだろう。例え専門家からであろうと、横槍を受ける余裕はないと考える。

 

例えば、東京電力のサイトにはモニタリングカーによる計測結果が報告されているが、こんなもん、車にバッテリーと計測器に通信機器(携帯電話とかその類)を載せて10分毎に計測結果をアップロードする機械を積んで車をあちこちに放置してこい
と思う。あとはデータベースとWebが適当に表示してくれる。

 

こんな記録をPDFにするために誰かが作業したかと思うと無駄としか思えない。転記ミスなどのヒューマンエラーも気にしなければならない。

 

情報を公開する場合、生データを理解できる専門家もいれば、それが暗号にしか見えない素人もいる。全員を満足させる事は出来ないだろう。専門家でも変換しなければ有意な意味を読み取れない場合もある。

 

更には被災者とそれ以外の人が望む情報も違う。それはテレビとラジオでの放送内容の差ともなるべきかも知れぬ。データの収集と加工は、どちらにもそれなりの労力が必要である。

 

新しい情報公開の局面にきている。専門家は生データを欲し、素人(大部分)は、
公式発表と専門家の両方から意見を比較することで確認する、そういう構造が必要だろう。


そのためには一次資料をどう公開してゆくか、これは公開できない情報は何であるか、その理由、という定義に突き詰められる。決して政府や当事者の発表は信じるに値しない、という話ではない。


マスコミという一次加工者だけでは70%の満足しか満たせないから、残りの30%部分を少しでも埋めていこう、という話に過ぎない。

 

今回のような大事故は初めての事であろうから、ここでの反省は次回に生かされなければならない。素人(自分のこと)でさえ情報は少ないと感じているのである。専門家だってそれは感じているはずだし、現場の人たちだってそう感じているだろう。

 

情報とリソースの不足の中で、それでもしっかりとやって欲しい。

 

だから自分としてはこれに関しては、ROMに徹するつもりだし、彼らの邪魔はしたくないと思う。

 

マスコミ(特にTV朝日)が不安を煽るモードに入っていて、例えば、アナンサーのあせった口調で迫りのを専門家が抑える構図だとか、延々と津波の画像に恐ろしげな声をあてて流してみたり、解決も見えていない時点で既に批判的な意見を飛び出す。

 

これだけの事件でさえ、マスコミは、後から十分な検証をする気はないようである。だから、話題が新鮮なうちに全部言ってしまおうと思っているのだろう。

 

批判は後から幾らでも受ける、今必要な事の邪魔だけはしないでくれ。そういうものは全て後からにしてくれ。今はそういう状況だと思うし、報道もそれに徹するべきだと思う。

 

今回の津波に関連して、もし先の戦争中に生きていたら、俺って大本営発表をまぁ鵜呑みまではしないまでも、肯定的には受け入れていただろうなと思った。これには自分でも少し驚いた。

 

今の政府は十分に信用にたる現状に必要な情報を出していると思うし、しっかり対応できていると思う。なにより、今の政府に対して(意味のない)批判を聞くと、非国民と呼ぶわけじゃないが、こいつダメと思ってしまう。

 

例えば、ゲンのお父さんのように、もう戦争は終わりじゃ、負けるんじゃというように、もう福島は終わりじゃ、爆発するんじゃ、と聞けば、頭くるくると言ってしまいたくもなる。

 

そりゃ分かっておるよ、だが、現場ではまだ働いている人がいる、それをどうすりゃええかいの、という意見だって成り立つ。

 

ま、原発と先の敗戦末期を同列で語るのは変な比較か。

 

空襲の後のような津波の跡をテレビで見ていて、少しだけ空想ではない考えが出来た気がした。