引退会見直前に駆け抜けた「紳助逮捕」噂の舞台裏

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以下にそれぞの文章を義解し、そこからの論理展開を確認してみる。

 

明確に法律に触れているわけではないので、何も引退することはないと思う――。

多くの読者に親近感を持たせるための導入部で感想。

 

島田紳助さんが電撃的な「引退会見」を開いた8月23日から一夜明けて、テレビ各局のワイドショーには紳助さんとゆかりのあったタレントらが出演し、みな口を揃えてこう彼をかばった。

さらに肯定的な意見を続ける事で擁護に一度誘導する。

 

しかし、果たして本当にそうなのだろうか?

『しかし』によって本論がここから始まる事を明示する。親近感に対して疑念があると提示する。何か問題があるのだと暗示し読者に刷り込む手法である。

 

実は、この「引退会見」が行われた23日の昼過ぎ、「紳助逮捕」というまことしやかな噂が芸能関係者の間を駆け抜けていたのだ。スポーツ紙の芸能社会部記者が明かす。

『実は』と読者の知らない話を持ち出し、逮捕という衝撃的な話でインパクトの大きさを印象付ける。それが『噂』と明記してあっても逮捕という強烈さなので読者は本当に事と勝手読みするとしたものである。


あなた明日逮捕されるってよ、そう噂されてるよ、こう言われて平気な人はいない。例えスポーツ紙がニュースソースであろうと、完全なデマ、フェイクと受け取る人はいない。

 

「最初は『紳助逮捕』という話が入ってきたのですが、夕方くらいの段階で『どうも逮捕の話は伏せて、引退会見というかたちで何か話すようだ』というふうに変わった……。ただ、この時点で吉本興業の社員にはみな厳しい緘口令が敷かれて、全員社屋への立ち入りさえ禁止になるなどただならぬ事態になっていましたよ」

噂は75日と言う。煙のない所とも言う。噂をどう展開してももはや読者には真実である。フィクションとノンフィクションの間に壁は存在しない。真実により近く感じさせるには会話形式で書く事だ。


会話形式にすると読者は勝手に第三者の声を当ててしまう。それでリアリティが増す。そこにある真実味は誰かが話したという点だけだが、活字になると会話が真実になる。噂は真実ではないが噂話をしたのは真実である。

 

この日の夕方、マスコミ各社には「島田紳助の今後の活動について」と書かれたリリースがファックスされたが、実際に会見場を訪れると、「島田紳助 芸能活動引退に関するお知らせ」という案内が配られた。会見の様子はテレビで繰り返し流された映像を見ればわかるが、「後輩に示しがつかない」「この程度で引退しなければならないんです」「若い奴らに何かメッセージを与えないといけない」という理由から、敢えて「引退」という道を選んだ……と、あくまでも“教育的見地”に立った気丈な会見は、さながら自らの芸能人生の大団円を迎え大見得を切っているようにも映った。

『大見得』という一言に記者の感情を忍び込ませる。あくまでも主観のように私には『映った』と書くが、これで悪い感情を読者の中に自然と共感が生まれる。このような誘導が可能なのは、読書する時は読者する側が信頼関係を努めて作ろうとするからだ。

 

しかし、会見を見る限りどうしても腑に落ちない点がいくつかある。そのひとつが、「外部の情報提供者」から持ち込まれたというメールの問題だ。

『腑に落ちない点』という誘い文句で更に論を展開する事で擦り込みを強調する。

 

「昔からの友人」と紳助さんが話していた「Aさん」、つまり、元プロボクシング世界王者で、羽賀研二被告の共犯として逮捕された渡辺二郎被告(恐喝未遂罪で実刑判決を受け現在上告中)との間で交わされたメールのやり取りが、指定暴力団の最高幹部(’05年に虚偽の売買契約で不動産差し押さえを免れた強制執行妨害容疑で逮捕)との「親密な関係」を裏付ける証拠とされているが、実はこのメール、’05年6月から’07年6月に交わされたかなり古いものなのだ。

『古いもの』という指摘は実は何も語っていない。何故なら古いと何が悪いのかを一切書いていないからだ。ここで『古い』と書く事で読者の心に空白地帯を作る。

 

なぜ、今頃になってわざわざそんな古いメールが引っ張り出されてきたのか?

『古い』ものが今頃出るというのがおかしいよね、と暗に畳み掛ける事で解答を示す。読者の中では、他の考えうる疑問は全て雲散霧消する。論理的に古いから怪しいになる。読者はここで何の根拠もなく古い事は怪しい事であると受け入れる。

 

元検事で、暴力団関連の凶悪事件も手がけてきた今枝仁弁護士が話す。

ここで『元検事』『弁護士』という社会的ステータスを持ち出す。社会的正義として、この肩書で怪しいに決まってます、と権威を使って説得力を増す為である。


一般的に一方向、一人だけの見方には説得力がなくとも、二方向、二人の見方が一致するなら説得力は増すものである。同じ結論なのだから。

 

「すでに警察の捜査が終了している渡辺二郎被告の捜査資料がこのタイミングで出てきたということは、すでに逮捕されている指定暴力団の最高幹部の事件が“のびた”と考えるか、もしくは、まったく別の事件で新たにこの島田さんとの間で交わされたメールが重要視されたため、会社側に確認の連絡がきたと考えるのが自然でしょう」

『考えるのが自然でしょう』で決定するなら裁判など必要ない。『元検察』で『弁護士』の人がこんな推定で有罪を宣告するなら、嘘か無能のいずれかなのだが、この国の司法は劣化激しく、国民からも権威以外の何も期待されていないし、その能力の検証も十分されていないからこんな無茶な意見でも多くの人は説得されるのである。

 

ここまでで読者の頭の中には古くから暴力団と付き合いがあった、という事しか残っていない筈である。で逮捕となれば覚醒剤マネーロンダリング、と連想ゲームの始まりである。

 

 一方、会見前に飛び交った「紳助逮捕」の噂について、吉本興業の関係者が声を潜めて話す。

『関係者』がまた微妙で、吉本が好きなら誰だってファンである。ファンなら吉本ウオッチャーの一人にカウントできる、ならば関係者である。しかも声を潜めているのである。誰にも話してはいけないのなら本当の話の筈だ。雑誌に書くのだから声を潜める必要性などないのであるが。

 

「『紳助さんが逮捕されたのでは?』という噂は社内にも出回りました。これほど大きな会見なら吉本トップの大崎(洋・吉本興業)社長が直々に出ると思われていたので、その代わりに水谷(暢宏・よしもとクリエイティブ・エージェンシー)社長が出ていたのはヘンだともみんなで話していたんです。もしかしたら、大阪にも飛び火して、かなり大きな事件に会社全体が巻き込まれているんじゃないかって……」

会見に社長じゃなくてそれより小物が出てたから、おかしいな、と感じた、と言う。彼が所属する会社の社長が出ているのだから、それは妥当ではないのか?だが怪しいと言う為に親会社の社長がどうしても必要なのである。

 

説得したいのは理屈ではない。読者の好奇心である。好奇心は裏読みができるほど刺激は強くなる。ここまで来たら読者の考える力はもう停止しているので、疑心暗鬼のネタを投入するだけでよい。

 

  一昨年、六本木ヒルズの一室でMDMAを服用し同伴のホステスが死亡した事件が発覚した押尾学被告(保護責任者遺棄罪で実刑判決を受け現在上告中)のケースでは、逮捕報道が出る直前に、本人が所属事務所を解雇されたが……。

何も関係ないが明確な犯罪事件をここに持ち出す事で印象操作が続く。人間が持つ連想する能力がこれらを結び付ければもう切り離すのは難しい。薬物違反にも匹敵する逮捕劇である。やはり薬物以外ありえない。

 

「逮捕」の噂が噂のままであって欲しいと願うのは、日刊SPA!だけではないだろう。

『噂』である事をを強調しあくまでも噂を取り上げた、我々は誠意ある善人である、として記事を〆る。

 

取材・文/日刊SPA!取材班

何のためにこのような記事を書いたか。印象操作と誘導はゴシップ記事の技法の一つである。雑誌社は雑誌を売るのが目的である。だから見出しが重要で、電車や新聞に広告を載せるのは見出しこそが勝負である。購買意欲のほぼ全てがそこで決まる。

 

しかし見出しだけが過激だと、読者に対して誠意ある行為とは言えない。内容が詰まらなければ二度と買わないと思われるだけである。だから見出しに見合う記事を書く必要がある。

 

だが、所詮は噂である。ドキュメンタリーとは違うのである。すると雑誌としては読後感、読者の顧客満足度だけに全てを賭ける。印象操作、噂の真実感、良く知らない裏の世界、そういったものでリピータを生み出したい。

 

そのために真実はすべて闇の中という結論に向かって、我々は頑張ってトラッキングしたけれど、最後はよく分からなかったという構成が代表的なテンプレートなのである。

 

放射能とか原子力の記事も同様の構造のはずである。