今年が生んだ一つの文学

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中間報告は今年日本語で書かれた文書のうちではもっとも重要な一つだろう。少なくとも作成者にとってはそのはずだし、読めばそのように感じる。

 

いっそ小説にしてくれればいいのに。そういう感想が浮かぶ。

「I はじめ」にの「3.当委員会の基本方針」にある基本方針、ポリシーは大切だ。それが自分自身に矛盾がないかどうかを検証する最初の視点となるから。

 

事故当初に重要な役割を果たしたのが非常用復水器。これを巡っての混乱は物語としては一級品だし示唆に富む。報告の混乱で言えば、坂の上の雲での乃木第三軍の報告の挿話を思い出す。

 

戦争における報告の重要さは、太古から変わらない。情報は必ず錯綜、誤報、混乱する。だから情報は常に等しく不確かである。それを時間軸で並べ検証を重ね情報の取捨選択を繰り返す。捨てたものを拾い、拾ったものをまた捨てて、その繰り返しで組み立てる。

 

それが言わばストーリーである。ある時は存在しない情報を仮定して組み立ててみる。ある時に存在する情報を仮定して取り除いてみる。

 

つい最近出鱈目なストーリーを作り上げた男の裁判が行われた。その被害に合ったのが政治家だったのでまだ良かった。これが原子力発電所事故でのストーリーだったら被害は尋常では済まない。スリーマイル島チェルノブイリも事故の切っ掛けはストーリーの読み違えである。

 

報告の混乱に比例して混乱はするものだから軍隊での報告は一つの参考になる。だがそれらの実体は経験してみないと分からない。報告はする側よりもされる側の方が難しいはずだ。聞く方の欲するものを知らなければ書く方も書きようがない。

 

事実が分からない中での報告が普通に、誤解を与えない、要領を得る、そういった言葉の作り方については、書き言葉であっても常に考えておいて損はない。

 

本当の混乱の中で報告は声で上がってくる。それが更なる混乱に拍車をかけるのは必至である。

 

Ⅳ 東京電力福島第一原子力発電所における事故対処

このレポートには合理的、推認、思考、判断の語句が頻繁に出る。当時の状況で合理的な判断であるなら、今から見ればそれが誤りであっても、責めることは出来ない。

 

この一点において彼らは検証を重ねているように思う。ヒアリングから時系列に並べて一つ一つ検証する。その判断はその時の状況では合理的であるか。その考え方は後からみても妥当と考えうるか。

 

時系列に並んでいるので、このレポートはそのまま24のドラマのようだ。この報告書がPDFなのはいいとしても紙のレポートの電子化である。そのため建屋がどうなっているのか、それぞれの場所関係はどうなっているのか、テレビ世代には理解しづらいものがある。


小説ならばそこまでの理解は必要ないから適当に流して読み進めるのだが、電子媒体なら、もっと工夫した資料が用意できるはずだ。電子化の利点は検索とアニメーションの導入である。

 

立体的に建屋を見せ、どこに移動したのか。誰がどこにいたのか。どのくらいの放射線汚染だったのか。歩いた経路、位置関係、時間帯などを静止した図面ではなく描ける事がコンピュータの強みの見せ場だろう。

 

動画にしろと言っているのではない。所詮動画は静止画像の連続に過ぎない。利用者が欲しい情報を操作できる動的な図面が欲しいと言っているのである。

 

つまり考える道具としてより有用な組み立て方があるだろうという話である。