オウム・菊地元信者に逆転無罪 都庁爆弾事件で東京高裁

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日本は三審制だから、だいたいが1審が有罪、2審でその逆の見方を出して、三審で両方を加味して決着しようというのがテンプレートのようである。

 

つまり、通常は検察と弁護士が両者の意見を戦わせる事で、ふたつの異なる視点からひとつの事件や事故を論じる事で、見落としなく進めようとするのが裁判の基本である。

 

日本では更に三審制の中でも、裁判官が同じ見方にならぬよう、わざと動いているような気がする。Aがこういう判決するなら、Bは違う視点を必ず入れ込む、という様に。

 

これはダブルチェックと言えばダブルチェックであって、余程の明白さがない限りは、こうして公平性を期しているのではないか、という気が強くする。

 

勿論、オウムは許すべきではないし、それが例え見せしめであったとしても一生償わさなければ社会正義は保たれない。そんな事は裁判官だって一市民としては分かっているはずである。

 

しかし職務に忠実であろうとするならば、司法の質を高めるならば、このような判定もありうるのかも知れない。

 

という解釈は簡単に成立するのだが、それでも無罪とは思い切った逆張りだと思う。この逆張りをするという事は、当然、自分たちへのパッシングや世論の反響を思い至るわけがなく、分かったうえでやっている。

 

日本国憲法76条
すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

 

それ故に、これだけ厚く守られた裁判官であればこそ、時に政府の圧力や犯罪者集団に恐喝される事で、簡単に判決を捻じ曲げざる得ない場合がある、という事はよくよく注視しておかなければならない。

 

そういう話だ。