写真が登場して以来、絵画というのは難しい。絵の巧さというものが、単なる写真の下位互換のように感じる人も多いからである。
しかし、写真でさえそうであるが、絵画もまた、目で直接見るものとは違うもので、まずフレームがある。そして、実質的には平面である。
人間の目は確かにCGの実写を見分けられないほど性能は良くないが、それでも平面と立体を見分けられないほど、ぼんくらでもない。確かにだまし絵や錯覚というものはあるが。
それでも、絵画もまた才能の露出であって、我々は絵の巧さと通して、この人の才能に驚愕している。
しかし、モーツアルトなり、ピカソなり、子供のうちから天才という人たちはこれまでも幾らでも居たし、これからも幾らでもいる。
子供だから天才という言い方もできるわけで、この程度の絵を描ける画家なら、大人なら幾らでも居る、という話もある。
つまり、絵に感動しているのではないだろう?という理屈は十分に通用するのである。
それでも、こういうのをギフトっていうのかな、それはもう、超一級のギフトなわけで、これがどうなるかは、これから次第って話である。
俳優の世界では子役はドラッグ漬けになって落ちぶれるまでが一小節、というのが定番となっている。
この人がこれからどういう絵を生み出してゆくのかは知らない。だが、少なくとも100年前の偉人の再来では話にならないのである。
もちろん、誰だって、先人の作った道を通りながら育ってゆく。
もう少ししたらね、セックスに目覚め、金に目覚め、野心や野望が巨大になって、どうしようもない権力欲だの、生命力に触れて、そこからが、本当に面白くなるはずなんだ。
早くね、そんなモネもどきの画風など捨てて、という思いがしないでもない。しかし、そういう絵が好きなら、それをとことん突き詰めるのもまた一興であって、如何なる才能というものも、マンネリズムからは逃れられないものである。
マンネリズムを打破するのは才能ではない、それは日々を怠らぬ精進、訓練、そして好奇心だろう。
今日も世界は無事息災であれ。