18年大河は西郷隆盛 原作・林真理子×脚本・中園ミホ「女の視点で切り込みます」

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誰も見たことのない西郷隆盛というのは、それだけを聞けば面白そうな話である。

 

しかし、「勇気と実行力」で時代を切り開く“愛に溢れたリーダー”と聞けば、なんとステレオタイプかと思わずにはいられない。

 

真田十勇士という映画で繁信を腰抜けと描くが、もちろん、腰抜けと戦略眼は同居してもいいのである。

 

西郷どんをどう描くかは、もちろん、一般的ではあるが、その雛形は、やはり司馬遼太郎翔ぶが如くであろうと思われる。ここから、多くの人が様々な解釈を加えていった。

 

西郷の評価は竜馬のそれが相応しい。

なるほど西郷というやつは、分からぬやつだ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう(氷川清話、勝海舟) 

 

これは、大きな馬鹿だろうが大きな利口でも構わないが、これだけの人間なら大きく叩くやつが必ず現れるよ、という意味であろう。この大きく叩くやつとは誰なのか?

 

一般的には大久保一蔵になる。いずれにしろ、小さく響いてはその人物に気づけないから、結局、彼を知るものは、大きく叩けるやつだけだという事になる。

 

更には、死後でさえ小さく叩くものには小さくしか答えないという話になる。「彼をめぐる女性たち、流された島々を深く描くこと」と作者が言っているので、物語の中心は幕末以前になりそうである。

 

だが、西郷の面白さは征韓論に尽きると思う。あれがなければ、西郷という人の評価はがらりと変わったであろうし、その後の日本が全く違ったと思わずにはいられない。

 

「語り合った者は皆、西郷に惚れた。」とあるが、もちろん、島津久光とは性格が合わなかったのである。このあたりをどう描くか。

 

どうしても久光は高橋英樹になるし、西郷は西田敏行である。一蔵どんはどうしても、私の記憶が正しければの人になる(ランボーではない)。

 

さて、西郷とは革命家だったのか。そこはどうも分からない。小説程度でしか知らないが、実際に彼の道程を見ると、どうもそうとは見えない。

 

彼はやるべきことを与えられた時には最高の力を発揮するが、誰もいない場所では寡黙にじっとしているイメージがある。コンピュータに例えるなら巨大なサーバであって誰かからの接続を待っている、そういう感じがする。

 

しかし、明治維新後はそうであるとよりも不満が大きかった気がする。征韓論で野に下ったのも、理解できなかったというよりも、その時の明治政府に不満があったと考える方が近い気がする。

 

もちろん彼は朝鮮を征服せよと主張したのではない。話し合いに行くと言った。話し合いとは、そこで殺され戦端を開くという意味である。実質的には戦争である。

 

それを押し留めた大久保には西郷の気持ちは分からなかった。戦争が終わって抜け殻となった西郷はありうる。彼はもうすることがなくなった。その燃えカスをどう始末するかを考えていた人ではないか。

 

彼は常に反権力の立場だったのかも知れない。江戸幕府を倒した時、彼が次にターゲットとするのは、自らが樹立した明治政府であった。破壊という狂気にとらわれた西郷。石川賢が描きそうである。

 

飢餓感が彼の中に常にあった。ゲバラが常にゲリラを求めたように。

 

だが、そうでない西郷像もありえるし、狂気としての西郷だけでは少し単純だ。

 

西郷は優しい人であった。ならば彼の関心は明治政府に捨てられた人にあった。それらの人々と、侍だけとはいえ、共に立ち上がろうとした。そのやさしさは、515、226事件へとつながってゆく。

 

不幸にして、西南戦争は彼の目論見よりも早く始まってしまった。それが彼の残念な命数だったのかも知れない。あと、数年の準備期間があれば、鹿児島はもう少しましな戦争ができたかも知れないし、ひっそりと彼は亡くなっていたかも知れない。

 

創作としての西郷は確かに面白い。しかし、幕末なら、そろそろ、山縣有朋を主役に据えてはどうか。明治、大正から昭和へと向かう時、解釈の余地としての歴史は山縣を中心にする方が面白い。

 

まだまだ彼を大きく響かせる力がない。