この程度のことしか言えない人がAIの研究者なんだから、この危うさは本物だと思う。
読解力とは何か、と言えば、読み書きそろばんの「読み」の部分である。ところが、テストであったり、入試問題というものは、その人の能力を図る物差しではなく、各人を順位付けするための物差しである。
よって、テストを実施して一番困ることは、0点取った人が多いとか今回は難解で平均点が低かったという話ではなく、全員が同じ点数を取った、またはそれに近い結果が出てしまう事なのである。
主催者はテストの結果から受験者の順位がきれいに並ぶ事を願っている。受験とは人をソートする行為に過ぎない。そのためのキーに得点を使用しているだけの話である。可能なら資産でも身分でもなんでも構わない。最も重要なことは綺麗に並ぶことである。それ以外は些細な話だ。それによって、その人の能力を把握したつもり(錯覚)になろうが、全員が錯覚の中で動く限りは揺るぎない真実である。後はどの上位教育機関に送り込めばよいかを決定するだけだ。
教育が次第に充実してくれば、相手も馬鹿ではない。施策あれば対策ありで、上位に並ぼうとする指向性が生じる。ある程度の高い教育水準になれば基礎知識程度では順位付けはできない。すると次に起きる事は知識量の争いと、より察する能力が高いとか、裏読みが出来る、ような能力で順位付けするしかない。
実際に入試の問題文を読めば分かるが、まともな日本語ではない。あちこちに敵を混乱させ誤解させ思い込みを起こすような言葉ばかりが並ぶ。なぜこうも分かりにくい日本語で記述するのか、という感嘆を禁じ得ない。
もちろん、官僚養成学校(東京大学のこと)ともなれば、この先相手にするのは海千山千の強者たちである。なんとか裏をかこうとする国民、政治家たちがいる。外交官たちだって油断ならない。小さな解釈の違いがどれだけの損害を与えるかも分からない。
そういうのに対面するには、素直であると同時に詐欺にあわない用心深さ、慎重さ、臆病さが必要なのである。そういう人たちを基本的に選抜する試験であるから、そういう問題文が並ぶのも当然なのである。
難解な文章を読める方が偉いと子供たちに思わせながら、実は、そうしなければ、有効な順位が出てこないという教育水準の高さがある。そこが問題だ。
読解力がないのではない。難解な言葉使いによらなければ有意な順位が出なくなっているだけである。そのような状況において、中高生の読解力が問題であるなど言う人が居るなら、明らかに、問題を読み取る能力の欠けていると言っても過言ではない。
設問
「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている」
問題
「オセアニアに広がっているのは( )である」の空欄を埋めよ。
整理
仏教 - 東南アジア、東アジア
イスラム教 - 北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジア
アセアニアの記述があるのはキリスト教だけである。だからキリスト教と記載するのが当然である。と考えるのは恐ろしい馬鹿の考え方だ。そういう人間は学問のブロイラーとなって一生を送るのが相応しい。
この文章では各宗教が広がっている事が書いてあるが、そうでない事は書いていない。よって、オセアニアにキリスト教があるのは当然としても、それが主流とまでは言えないはずである。論理的に考えるなら、キリスト教が広がっていると書いてあるから、他の宗教は広がっていないと解釈してはならない。その可能性を切り捨ててキリスト教と答えるためには、問題文には前提条件が付帯する必要がある。
「上記の記述に限定すれば」この一言があるならば、答えを導くのは簡単である。だがこの一文がない限り、可能性は捨てきれないはずである。
要は試験というものには、そういう暗黙の了解がたくさんあるわけで、その上に成り立っているのであって、そういうものは、大人になって社会経験を積めば自然と理解できるものである。
という事は、試験問題が選抜しているのは、大人の事情をいち早く理解している子供たちの存在であって、かつ、知識獲得に長けた者たちという事になる。当然ながらそれが優秀という証明は人類史上で一度もなされた事はない。
そういう暗黙に対して、子供やAIが不得意なのは当然なのである。推論を正しく慎重に行う子供であれば、この記載した情報だけからは、明確な答えは得られない、という本来の結論に辿り着くのが当然である。
この答えはキリスト教です、と何んの疑問も持たないで答えられる子供の方がよほど程度が低いのである。別の言い方をするならば、たんなるおっちょこちょいである。
AIでこれだけの研究をしながら、入試で使われている日本語は非常に低レベルである、という結論さえ見抜けないのだから、この人の能力は平均的だと思う。
もちろん、驚くくらい読解力のない子供もいる。それはもう基礎学力とか、基本的な算数さえうろ覚えである。そういう子供は、自然とごまかすのが上手くなったり、その場しのぎで状況を乗り越えようとする。だから、なかなか学力が付かない。
そういう学力が不足している状態と、根本的に日本語が劣化している現状を混在して欲しくない。そういう事は指摘するまでもなく、研究者が気付かないければならない。確かに予算確保のための方便もあるだろう。だがそれはあなたのビジネスである。こういう人材がマスコミで話題になる状況が暗示するものを読み取るのも難しいのである。
もっとシンプルに考えろ、というのがとても難解な日本語である事を理解するのにどれほどの経験が必要だと思っているのか。
(2018/10/07 ~資本主義の未来~ 第2集 仕事がなくなる!?で孫正義と真っ向から議論している新井紀子を見て思い出した。)