福井・東尋坊で自殺装い殺人 21歳元少年に懲役19年

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「執拗(しつよう)に暴行を繰り返され、どれほど苦しかったか。嶋田さんの絶望感や痛みを想像しましたか。過ちはあまりにも重大かつ深刻で取り返しがつかない」と説諭した割りには19年とは軽い。

 

重犯罪については、その刑期だけではなく、釈放後の再犯も視野に入れなければならないはずである。軽犯罪は繰り返す事もあるだろう。だから三回目からは重犯扱いする制度もある。

 

一方で最初から重罪なものは、再犯した場合の被害も大きい訳で、釈放した者、その程度の量刑に決めた者の責任も厳しく問われなければならない。そもそも法体系が犯罪者の更生を目的とするのか、それとも処罰を目的とするのか、それとも危険人物の隔離を目的とするのかは、判定を出す時に厳密に判断されていなければならない。

 

ではどのような人なら更生可能なのか。それは正確に前もって分かるものなのか。その上でもし更生不可能と見做された場合、その者を公費をもって生かし続ける事に意味はあるのか。そういう議論が避けられない。

 

よって異常と言われる重犯罪は死刑妥当であって、死刑にしない限りは、裁判官にも再犯の責任を追及する必要がある。その再犯に加担したと言ってもいい。必要なら従犯として裁いてもいい。

 

そういう議論をすると裁判制度はとてもでないが人間が運営するに能わずと結論せざる得ない。だから法体系というのは矛盾を含んでいると結論せざるえない。すると矛盾を如何に取り除くか、または、如何に防ぐかは、恐らく技術的革新によるしかなく、人間が干渉できない監視システムの誕生、つまりは神の目を持つ存在によってしか実現不可能であろうと予想される。

 

つまり監視カメラ等を基本とした情報網と堅牢に管理されたAI管理システムに司法制度は次第に移行してゆくだろうし、そうなった場合には、如何なる権力者もこのシステムにおける特権的階級とはなれず、つまり裁判制度における完全な平等が実現されるのである。もしどこかに見落としがある場合、このシステムは人間を家畜化するだろうか。

 

それでも管理された重犯罪者を追放した社会はやはり幸福の一つの形だろうと思う。ただそのようなシステムがこの社会をどう変えるのか、アリやハチのような本能的に拡大してゆくシステムが、地球を出て銀河系にその生存域を拡張する未来を不気味と感じるか、そのような世界に人間は残っているものだろうか。

 

ま、40で社会に出てくるなら刑が軽いと言わざる得ない。ある程度の犯罪に関しては、量刑としての年数ではなく、何歳までという形で処罰すべきだと思う。