米、アフガン人通訳らを国外避難へ 身の安全に懸念

www.asahi.com

 

バイデン米大統領は同日、「すでに手続きを始めている。我々を助けた人々を置き去りにはしない」と語った。 

 

アフガニスタンの可能性は19世紀、20世紀初頭までの歴史を見る限り、明るく感じる。それまでの不幸も、それ以外の国家とそう大きく変わるものではない。現在のような先鋭化した問題の極所点となるとは、かつてのアフガニスタンの人々は思いもしなかったに違いない。

 

アフガニスタンの歴史でソビエトの存在は大きい。しかし、その理由がイスラム原理主義への牽制であったのなら、それを咎めた西側諸国の瑕疵も大きいと感じる。しかし、ソビエトがただそれだけのために侵攻したと考えるのも甘い気がする。彼/彼女らが用意した幾つものシナリオの中には傀儡政権の樹立もあったろうからだ。

 

いずれにしろ、ムジャーヒディーンイスラム民兵)の発生と組織化がタリバーンアルカイダへと続く。ここで問題の核心をイスラム教に求めるのは妥当とは思わない。

 

明らかにヨーロッパの近代化に対する疑念が根底にある。そしてそれぞれの地域や歴史への相性がある。激しく抵抗する地域もあれば、上手に取り込む地域もある。相性次第で、その後が決定づけられる。

 

それほど、近代化という潮流は激しく、誰も逃れられず、ヨーロッパも含めてそれへの対応を強要した。日本もその流れに逆らえず、江戸幕府は政権を返上した。

 

この激しい反発は、強ければ強いほど、強い信念を必要とする。それが原理主義を求めるのは自然であろう。なぜならこの近代化は啓蒙を含むからである。教育を強制する以上、それに反発するのは、他の教義が必要である。つまり、教育に対抗するには教育しかないという点で同じベクトルである。そして、問題はどのテキストを採用し、どう教えるかという話になる。

 

キリストは、人はパンのみで生きるにあらずと言った。当然だが、ここで重要なのは by bread alone の alone であって、つまり原理主義が生まれるのは簡単だが、それが維持され拡大してゆくには bread が必要という点である。つまり、誰かが出資しているはずである。それがどの国か、財団か、資産家かは分からない。または略奪する仕組みを持っている。

 

その活動のほどんどが暴力的で略奪である以上、資金が潤沢であるとは言えない。これは貧者の兵法と呼ぶべきものという気がする。ではソビエトといいアメリカといい、なぜ富者は貧者に敗北し続けるのか。答えはたぶん、相手が貧者であり続けるからだ。HxHには貧者の兵器で勝利するシーンがある。

 

豊かさがそれを変えうる、それは貧すれば鈍するという故事からも明らかで、パンのみで生きるにあらずとは、豊かさだけでは足りないという意味である。貧しい者も持てる何かがなければ、足りないと言っている。つまり貧困であっても人は希望を失わないと語っている。

 

それ故に現代経済は多くの人を貧者へと滑落させている。希望を失わない限り騙す事は簡単だからだ。そうして最終的にはただひとりの富者を作る。ただひとりを頂点とした階層化社会に向かう。それはアリやハチの進化に遅れる事、一億年である。その皇帝が誰になるにしても、どうせAIに取って変わられる運命である。

 

アフガニスタンの将来がどうなるかは分からない。しかしタリバンが政権を掌握する事は間違いない様に見える。そして、豊かさが自分たちの基盤を奪う事を指導者たちは知っていると思われる。

 

この世界で階級闘争が起きる事は自然発生的だ。人は下から上に上がろうとする。そして、それは当然に上は下を蔑む事で階層を強化し、最終的には階層の固定化に至る。

 

それが社会の隅々にまで行き渡り流動性が失われ、社会は長い停滞に陥る。それを破壊するには階層の逆転が必要で、上位にある者たちを追放するしかない。だが、それは結局は新しい富者を生み出すだけで終わるだろう。構造は変わらない。

 

大多数の民衆が望まない支配者がなぜ生じるのか。だれかが資金を提供しているからだ。周囲にそういう勢力がある。食料、武器、資金、そういうものが流れ込むルートがある。

 

だから、アフガニスタン政府に流れ込む資金の量と、タリバンに流れ込む量を比較すればいいだけの単純な話で、その量とその活用の違いを分析すれば今後の動向は予想できるはずである。資金援助の量として負けるはずのないのに負けているなら、それは誰かが抜き取っているとしか考えられない。

 

そういうのが続けば支援者は手を引くだろう。本当にそんな単純な話か。アメリカが手を引くのも長期的な計画に飽きただけかもしれない。20年程度でなんとかなると思ったのはアメリカの落ち度だ。

 

だからパンのみで生きるにあらずという話になる。最終的には孔子が指摘するように自ら律する事が必要とされている。それを支えるものが美意識である。宗教心もまた美意識であろう。それを打ち砕くものが経済的な人間への圧迫であるというのが今の仮説である。