ジョージア“スパイ法案”可決 大統領は拒否権行使の構え 市民らは連日抗議デモ

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ロシア化法、スパイ法と呼ばれるこの法案は、報道される限りでは、国内の組織に海外資本が入る事を禁止している。

 

海外の企業が国内に投資する事を許さない、という意味ではないだろう。現在の世界でそのような鎖国政策で経済的に立ちゆく訳がない。だから特定のNGOなどが対象なのだと思われる。よく分からない。

 

単純に見れば、国内の資本の20%までしか海外資本を入れないという法律に見える。ジョージアの企業が海外展開規模は知らないが、普通は海外資本の投資を呼び込みたいのが普通だと思う。だからその排除で何を狙っているのか。

 

外国人の活動を抑制するという点では有効な法律と思える。それは自動的に外国人の排斥とも繋がる。海外からの人材は欲しいが活動するのは抑制しておきたい。

 

いずれにしろ、鎖国化政策に近い。それでもこの法律をどう恣意的に使えば、どのようにしてロシア化できるのかその手法と道筋が良く分からない。

 

ロシアはああ見えてプーチンは基本的に法治主義である。気に食わない事があれば、憲法を変えてでも、法治主義で押し通す。そこに不思議さがある。あれだけの独裁と暗殺を繰り返しておきながら、合法とは言い切りたいのである。

 

つまり歴史の審判を恐れている男であると言える。何より世界中の誰もプーチンの言葉など信じてやいない。中國でさえ北朝鮮でさえ信じていない。軽蔑さえしていると思う。

 

これがプーチンの美意識なのだろうか。それとも責任の取り方に対する彼の主張なのだろうか。どうせ後世の歴史家も学校で習う子供たちも嘘つきとしか見ないのである。それは明らかである。

 

プーチンは未来に対して合法という言い訳を用意している。そして今の自分の功績を過去として満足したいのではないか。日々、未来の人たちから賞賛を浴びている自分の姿を思い描いているのではないか。

 

いずれにしろプーチンと同等の政治家が居ない限り、そう大きな弊害はないと思われる。経済的に不利になるだけと思われる。ではなぜ議会はこれほどまでに推進しているのか。大規模なデモが行われている。まるで沿岸に集まった王蟲のように見える。

 

この法案を与党が推進しているのである。日本で言えば自民党である。選挙で勝利したのである。多くの市民が投票した結果である。デモに参加していない多くの賛成派がいるのではないか。すると反対する以上に賛成している人が居る事になる。それは誰のために、何のために。

 

例えば自民党であればこれは簡単である。現在の自民党は選挙支援をする統一教会日本会議、経済会からの要望を受ける。その変わりにその要望を通す。deal。お金と引き換えにどんな要望で構わない。重要なのは国家の未来ではない。お金を寄付する者たちの声である。そのお金を選挙戦に使えば負ける事はない。

 

ジョージアの与党が例えば、ロシアからの侵略を受け入れるつもりなら国売りであろう。それに対抗する海外の資金とは西側の資金という事になる。ならばこの法律は西側の資金を排除するのが目的と考えられる。

 

もしこれがロシアからの強烈な圧力に対抗するために、つまり国外の資金をロシア資金だとすれば、この法律はロシアを排除するためにあると考えられる。

 

だが、どうも報道によればそんな感じはしない。この法案が通ればなぜロシア化するのか、大統領は反対の意向だから、プーチンの二番煎じは首相という事か。だが、首相が大統領をさしおいて独裁者になる制度は聞いた事がない。

 

EUが反対し、EU参加を蹴ってまで導入する理由は何か。どこを目指しているのか。報道からは何も伝わってこない。

 

この法律によって市民活動を恣意的に取り締まれるのか、国内の資金であれば、どんな活動も否定される事はない。スパイ扱いと言っても、もし警察が任意にでっちあげをする日本の警察並みの腐敗をしているなら、どうせこの法律がなくても手遅れである。

 

プーチンが異常なほど合法性を重視する態度だからロシアで使われた法律であるが、多くの国ではそんな法律がなくても取り締まれるものなのである。日本のスパイ法の方が余程にやばい。

 

ジョージアがどの程度の民主主義国家かは分からない。しかし、今の所、民主主義の危機には見えない。自分たちが選んだ与党によって法律が成立した。大規模なデモが起きたなら、与党を転落させるという市民の意志表示である。

 

政権交代すれば、廃法できるはずである。デモの役割はふたつ。次の選挙で必ず落とすと言う宣言と、警察に対して政府の犬であるのを止めよという主張である。群馬県警の公園の記念碑での動きを見れば分かる通り、警察が機能している間は市民デモでは政権は倒れない。恐らくその動きを変える力もない。だから本気でやるならミャンマーのような内乱に持ち込むしかない。

 

だからデモには次の二つしか要求はない。選挙をせよ、必ず落とす、それを嫌がって警察を使って弾圧したり、選挙の不正をやるならば内戦やむなし。

 

アメリカの議会を襲撃した人たちも選挙不正という正義があった。だからデモが暴動化した。ガザに反対した学生に対して大学が取った処分は、あれだけの規模でのデモでも変わらなかった。

 

選挙によって地位が変わらない者たちにとってデモは何も変えようがないのである。その者たちの社会的地位を変える手段はデモではない。それは意志表示の宣言である。

 

政治家は選挙によって、それ以外の支配層に対してはスポンサーたちの動向に対して。これが民主主義の方法論である。民主主義、恐るべしである。