太平洋戦争を途中で講和していたらどうなったんだろうと、ちょっと思ったりした。
ドイツ敗戦後の冷戦体制は必ず来る。講和によって日本領土は今とは違ったものになるだろう。フィリピンなど東南アジアの諸国は独立する。これは大東亜戦争の建前からいってもそうなる。
ただし、東亜新秩序の建前で、アジア圏に同盟関係を樹立するかも知れない。約束はするとも履行せずと実質日本の植民地化を手離さない可能性もある。ただしアメリカも凡でも暗でもないから、講和条件で期限が決められているかも知れない。
そもそも講和できるくらいなら日本側は戦争も回避できた気がする。1942年から数年でアメリカが心変わりした理由は何か。
条件次第では満州国も存続する可能性がある。冷戦になればアメリカが欲する可能性が高いから。つまりソビエトの脅威がドイツの脅威を超えている場合。
中國大陸の動向は、今とは随分と違ったものになっているかも知れない。資本主機側と社会主義側の二つの中國が生まれても不思議はない。しかし、台湾の前身は蔣介石では形にできないかも知れない。他の後継者が誕生していれば大きな国民党はありうる。
さて、朝鮮半島は、独立運動が盛んとなる。独立もあると思うが、どちらに転ぶか。ここまで来ると、講和の条件、アメリカの思惑は戦後の冷戦体制だとすれば、日本の思惑はどこに、という話になる。
台湾は、日本領のままかも知れない。中國がふたつに分離したら台湾の帰属は変わらないかも知れない。
日本のスタンスは、ソビエトの封じ込めだから、その点ではアメリカと講和できる。資本主義体制も歓迎だろう。
たが、アメリカと同盟を組むか組まないかは講和後の分岐点となる。そもそも単独でソビエトと対抗しようとしたから、日本はアメリカと戦争するしかなかった。その考え方が講和後も変わらないとしたら自主自立、単独防衛が国是になる。
資本主義側の一員としてソ連と単独で対立できるだけの軍備を保持する必要がある。アメリカが日米同盟である程度の戦力で済んでいるのは、本国までは距離があって、ある状況では日本を見捨てる事が可能だからだ。そこにアメリカの戦略がある。
講和すると言う事は、戦前の欠陥は是正できない可能性の方が高い。植民地による経済発展をモデルとした方法論は敗戦しなくても見直しは必須だった。方針転換は不可避だった筈である。それは帝国議会でも同様の認識に至れるものと仮定しておこう。
帝国憲法で、戦後の世界を乗り切って浮くのは難しい気がする。これは、帝国憲法は軍部による総力戦体制を回避できなかったし、それを終焉する時期も決めらえないからだ。
今のアメリカと同様に他国に民主主義、自由主義を要求するかも知れない。だが、シビアな冷戦後の社会情勢で日本が単独でアジアの防衛戦となるなら、放置する可能性も高い。日本軍備がそれなりの効果を持っている限り、日本国民がどうなろうが、究極的にはアメリカは関知しない。
日本人自身の手で帝国憲法が改憲できるかどうか、ここが重要な点となるだろう。しかし、講和した場合、日本の国体の考え方、天皇中心の政治制度は大きく変われない筈である。
それで悪いとも思えない、明治、大正期の日本人が狂信的な宗教国家であった訳ではないし、独自の独裁制が敷かれた訳でもない。戦争中にどれだけ内閣が変わったかは独裁制でない証拠だろう。
日本の経済発展は、天皇制のままでも遜色はないと思える。しかし、どこかで国家総動員法を廃法できるかが試金石となる。それが難しそうであるというのが講和した場合の日本の最大の懸念事項であろう。
結局、多くの戦前の問題は、不況と貧乏に起因していた訳で、貧富の格差がクーデターの危険性を高めたために軍部は中国大陸での暴走を止められなかった。貧すれば鈍する。これが戦争前の日本の姿である。
それで、戦争講和できたとして、経済発展は今ほど出来ない可能性の方が高い。世界大戦後の新しい社会で西側の一員にはなるとしても特殊な存在になる感じがする。その場合、朝鮮戦争の変わりの戦争は起きるだろう。その主とした戦争当事者はアメリカではなく日本の筈である。
中國大陸には毛沢東の共産主義国と蒋介石後継者による資本主義の大きな国家が出来ている。それで戦後の経済発展の中心は中國大陸で起きているだろう。すると、冷戦後の日本の経済発展はそれの恩恵で起きると思われる。その結果として世界第二位の経済大国になれる可能性小さくなる。
いずれにしろ、今よりもずっと貧乏で、それなりの軍備の国家として、アジアに存在する事になるだろう。核兵器も核機関も自力で開発できない。アメリカもこの兵器は絶対的に秘匿する。
講和した後に、安定した民主主義ができず、天皇制のまま、軍部第一の政治のまま、農地改革も行われず、国として没落している可能性も高い。最も卑近な例は北朝鮮か、イランである。
講和できる条件は考えると難しい。そう簡単なら実際の政府も選択していたであろう。日本は最後までソビエトの仲介を模索していた。外交音痴と呼ばれても仕方ない。
アメリカははっきりと戦後の敵はソビエトと見ていた。その上で中國の動向までは介入できなかった。日本が権益を独占しようと障壁となっていたから。共同統治ならアメリカは話に乗って来た筈である。
いずれにしろ、21世紀にもなって大日本帝国を名乗るのは中二病である。イギリスも、戦後は大英帝国とは名乗っていないようである。
果たして大日本帝国にそれが出来たかどうか。戦後の国際社会の変遷に参加できたか?
(2010年07月26日03:54)