待ち合わせの理想は、1秒前に一歩前の位置にいて、時間調度で、その場所に立つ。全員がシンクロナイズするのが理想だ。この理想以外は、必ずどちらかが待つ事になる。
記事には『待たせるというのは、相手の時間を無駄遣いさせることですからね。』とあるが、逆にいえば、「待つとは、自分の時間を無駄遣いしている」という事だ。一般的に人間は自分の利益を優先させるから、自分の時間を無駄にするよりも優先度の高いものがそこにはある、という事になる。
それが心理的負担というもので、待たせる事による「相手への貸し(owe)」が、将来的には、自分にとって不利な取引に使われる事を警戒したものだろう。このように考る人は、人間同士の取引に敏感であるから、ビジネスへの適応度も高いと思われる。
逆に、誰かを待たせることに躊躇しない人は、人間関係に貸し借りという意識がないと思われる。悪く言えばルーズだし、借金をしても返さない気質かも知れない。こういう人はビジネスセンスにも欠けている可能性が高い。逆に、良いように言えば、損得勘定抜きで付き合える可能性がある。困った時に最後まで助けてくれるかも知れない。
寡黙にして優れたビジネスパーソンは、誰もが時間には厳格だ。それは、計画性とも関係する。時間への意識がシビアだから、計画をきちんと立てられるのだし、きちんと計画するためには将来への展望も具体的でなければならない。
どの程度の時間がかかる、予想される困難は何が考えられるか、常に計画を立てて行動する性格である。日々のその小さな訓練がより大きなプランを成功に導くだろう。つまりビジネスへの適応性の高さを示す。
だが、そういう人は、相手に気を使っているといいながらも、その根底で相手を値踏みしている。だから相手との関係性で言えば、あまり特にならないと思えば、付き合いへ減るだろうし、得るものがあると考えれば、どれだけ待たされても付き合いは続くだろう。
時間にルーズは、日本以外では一般的と聞く。定刻通りに電車が来た。ただし昨日の定刻の。みたいなジョークを聞いた事がある。
スローライフという話も人気だ。スローライフの遅刻嫌いなど僕には考えられないが、それが両立している人もいるだろう。ビジネスでは時間に厳格、それ以外はルーズと使い分けている人もいるだろう。
時間の潰し方は、最近はスマホがあるので、結構困らない。必要なら本を持ってゆけばいい。待つ事を前提に動く人は、逆に言えば、その余裕の時間をどう活用するかを考えているはずだ。その時間の活用が、塵積って山となるわけだ。継続は力なりという人もそういう時間を上手く使うことで継続しているはずだ。
こうなって来ると、待たされる方が待たせるよりもビジネス面は優れていると言えそうである。
もちろん、待つ、待たすは相手との関係性で決まる。スマホで連絡が取りやすくなったので、待ち合わせは臨機応変が可能になってきた。相手が家を出る直前に変更する事も可能だ。スマホの登場で待つ、待たされるが古い概念になりつつあるかも知れない。
いずれにしろ、理想は時刻丁度だ。許容は60秒以内。それ以上早い場合は自分の無能を嘆く。でも待つのは平気だ。