トランプ氏が軍投入を示唆 デモ拡大、「終結させねば」

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トランプという人が、その行動の大胆さと比べて、彼を支配する思想の平凡さというものは、民主主義のひとつの結実ではないかと思う。彼の愛国的精神を疑うものはいまい。と同時に、彼が貪欲に私産を増加するために大統領職を利用している事を疑う者もいまい。少なくとも自分が大幅に損をするような政策は打っていないはずだ。と同時に、彼の存在が、アメリカの衰退の始まりとして後世に記録される可能性がある、と同時に、この危機を救った優れた判断の大統領と記録される可能性もある事を疑う者もいまい。

 

つまり、彼の評価は不定である。この中国が台頭する時期に、堂々と対決姿勢を示した事は極めて異色であるが、評価できると思う。頼もしい大統領像と一致する。

 

しかし、そのアメリカで、彼が批判する香港と全く同じ事が起きている事に、何かを感じる。警察が市民に向けて敵対行動を取っている。幾つかの警察官は、現状を憂い、融和を提示したが、デモが収まる気配はない。

 

恐らく、ここで語るのを止めてしまえば、また同じ事が繰り返されるという自覚が多くの人にあるからだと思う。ここで変化しなければ、何も変わらない、これが最後のチャンスであるという状況が根底にあるのだろう。だから沈静化しようと訴えている人も間違えている、軍隊で押さえつけようとする人も間違えている。そのどちらでも何も変わらないからだ。

 

つまり、もしここで変われなければ、アメリカ全土を絶望が覆う可能性がある。それはコロナパンデミックの百倍も恐ろしい。無理だと人々が認識した時、少なくとも敗北が始まる。健全な未来を信じるとは終わらないという信仰に等しい。だから、人は神を必要とした。なぜなら永遠の象徴は神しかありえないからだ。人間の脳が生み出した幻想において、数学を除けば、永遠、無限を語るものは神しかない。つまり有限とは絶望の事である。

 

そういう背景を思う時、この騒乱を単なるテロ行為としてか呼べない人は、この動乱を暴動としてしか語れない人は、そのまま white privilege の信奉者という事になり、つまり、protester の敵という事になる。その素地は、political correctness として蔓延していた。警察が瑕疵によって何人も殺してきた背景がある。

 

警察が単なる殺人者の集団だとしたら、そこで起きる事は暴動とは呼べない。それは警察から自分たちを自警する行動であり、そこで起きるあらゆる責任は治安を崩壊させた警察側にある。そう解釈しないといけない。

 

無法状態でも粛々と全てを受け入れるなど人間の原理的にあり得ない。為政者はまだ社会が維持されていると考えているが、市民は維持されていないと考える。そこで起きている事は法に従ったからではない。すべてが人々の心に従ったからである。

 

コロナウィルスが蔓延した屋内で感染者が爆発する様に、一杯になったコップの最後の石が沈められた様に、堤に空いた蟻の穴から水が漏れ始めた様に、この動乱が発生する事は必然だったのかも知れない。少なくともその準備は整っていた。

 

つまり、これ以上、差別や特権が続くようならアメリカは維持できない、という The War と同じ問題が、およそ150年という時間を経て再燃したと言える。巻き込む人々の多様性がずっと大きくなって戻ってきた。

 

極端から極端への揺り戻しがアメリカの力であって、この復元力だけがアメリカの本質であると思う。それを維持するために、彼らは自由という概念を国家の根本に据えた。

 

それは人類史を眺めても、もっとも美しい理念であるし、同様に人々が信じるにたる国家としてアメリカを規定してきた。その理念が揺れている。

 

Is is a Riot? No Sir, This is the revolution.

 

警察官や投入された軍隊の幾つかがデモ側につけば、それが始まる。そんなのアメリカで起きた事は一度もないはずだ。ベルサイユのばらアメリカで起きたって驚くにあたらない。

 

一方で香港の未来は絶望である。なぜ中国共産党はこの時期に香港の支配を強めるのか。この強力なアクションは、そのまま民主化への恐怖のカウンターを意味する。国が富んでゆけば自由を志望する人が増えるのは当たり前と思われる。それを抑え込むのに、必須の条件は何か。

 

中国共産党の強力な理念は”資産”競争の勝者である事しか見えない。存続する事だけが、目的になっているように見える。そのためには金が必要だ、それが理念になっているように見える。この生存競争は極めて自然発生的であるが、それでも、歴史上、その略奪はイギリスと比べるとずっと穏やかだ。

 

その方法は欧州に発する契約という概念に基づく。彼ら自身がその契約によって奪われてきた歴史がある。その奪われたものを取り返すかのようでさえある。

 

なぜ今の時期にインドとの国境に軍を派遣し、香港を支配するのか、世界中がコロナパンデミックで混乱している今を好機と取っていたと思っていたが、実は違うのではないか。彼ら自身の足元が崩れ始めている、それが加速しつつあるからではないか。まるでタイタニックが沈みつつある事を、船倉にいる人たちだけが気付いていたように。

 

警察の横暴という点では、日本も負けていない。確かに単一民族であるから、人種的ダイバシティに乏しいから、”外国人”への扱いが、特に貧困地域から来た人に対して、偏見的、差別的になる部分がある。だが、当然であるが、犯罪の殆どはこの国の人間が起こす。特に外人だけを強力に警戒する理由はないはずである。それでも牛久の入国管理センターで起きている事、新宿で見られた警察官による致死、コロナ自粛期間中の警察官が示した明らかな威嚇、日本の警察も既に極めてあやしい。上に罰するものがいないから厚顔になっているのは明らかであろう。

 

この混乱を”差別”を軸に語ってはいけない。それは表層に過ぎない。現象のひとつである。これは特権が資産で決まるという現実に対する明確な反論であると思う。この世界が明瞭な資産による支配という形に変わりつつある。20世紀終わりから始まった格差でさえ問題の本質ではなかった。

 

この世界に初めて王が誕生した時、恐らくその人は資産を形成する事で成ったのだと思う。人格だの人間性だけではなかったはずだ。この原理に対して人類は、法を見出し、道徳を見出し、理想を見出し、そうではないと否定を続けた歴史がある。

 

それが崩れ始めている。もう暫くすれば資本を持つ者は全てを支配する権利を有するというような単純だが極めて実効性のある本音がむき出しの社会が到来しよう。施しとは、単に支配者の気持ち一つで自由にするというような社会が到来する。

 

これは200年前のイギリスで起きた事そのままである。少年を働かせ彼らの平均寿命を20才以下とした資本家の本能むき出しの社会。その格差を、資本家の存在を、危惧したマルクスがによって提示された共産主義社会主義によって取り戻そうとした。この取り組みが失敗し、彼の思想が力を失った時、その続きをなぞる事は当然の帰結であった。その停止したままになっていた続きをリブートしたのが、奇しくもソビエト連邦の解体と同じ時期であったことは偶然であるまい。

 

しかし今の時代はAIという不測因子が存在する。それがこの動きを更に加速するのか、それともAIの導入が、それを不可能とする世界が到来するのか。人間の愚かさでは社会が維持できない、今の我々の文明はそういう岐路にあるのかも知れない。恐らく、これは初めての経験ではない。歴史上、自然消滅した幾つかの国家がある。我々はその理由を誰も知らない。