交際女性殺害で元警官に懲役18年 大阪地裁判決

www.nikkei.com

 

警察官というのは社会的信用の上に成立する業務である。

 

制服と手帳だけで信頼を勝ち取るためには、単に国家機関というだけでは不足である。

 

アラブの春も革命の発端は汚職警官への抗議であった。警察官の信頼が崩れる時、その国家は崩壊する。

 

よって司法制度、正義に携わる者たちは自らを厳しく律する必要がある。当然ながら警察官の犯罪は、一般人よりも厳しくて当然。

 

それは最初の採用時の誓いからも明らかだ。

私は、日本国憲法及び法律を忠実に擁護し、命令及び条例を遵守し、地方自治の本旨を体し、警察職務に優先してその規律に従うべきことを要求する団体又は組織に加入せず、何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、良心のみに従い、不偏不党且つ公平中正に警察職務の遂行に当たることを固く誓います。

 

誓った上での殺人である以上、反省に意味はない。殺した後に反省するなら誰でも出来る。

 

この警官の行為は、社会への信頼の失墜、司法への信頼の失墜、警察官への信頼の失墜である。これを許容する統治機構はありえない。

 

更にこの劣化した裁判官は、この犯罪に対しても普通の人と同じと判断している。あろうことか、反省の色が見えるなどと問題の根底も見抜けない節穴の間抜けであることを衆目に晒した。

 

更に更にこの劣化した検察官はたったの20年の求刑である。これは典型的な身内に甘い態度ではないのか。一発死刑を求刑すべきであろう。

 

犯罪者、裁判官、検察官、そろいもそろって、この国の司法を崩壊させようとしている。当人たちにその意図がないのが諧謔である。

 

ただ一点。死刑でよいだろう。でなければ、凶悪刑務所に収監して元警官としてなぶりものにされるべきであろう。

 

それ以外に正義への回復の道はない。ではどうすればこの犯罪者は許されるのか。どれくらい謝れば許されるのか。果たして謝れば許されるのか。どうすれば許されるのか。

 

そういうテーマのドラマが見たいものである。