【ノーベル物理学賞】進む子供の「理科離れ」 連続受賞で改善期待の声

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・学校での好き嫌いが重視されるのは、好きなものはほっといても学力が上がると期待できるから。

 

・だから理科が嫌いだと理系の力が落ちる。これは科学立国だの技術立国だの寝ぼけた感慨を持っている人には国家の危機と映る。

 

・だが基礎科目で最も重要なのは算数。あらゆる全ての教科の基礎は算数。故に算数の力さえある程度あれば、理系、文系の選択など高校3年生、大学生、社会人になってからでも全く遅くない。

 

・まして理科の好き嫌いなどまーーーーーーたく問題ない。

 

・なぜ算数が基礎かと言えば、あらゆる場面に数が出てくるから。当然、理科の基礎には算数がある。どうしても算数的な力が必要。物理、化学は当然、生物学も化学の延長みたいな所があるから、その他の教科も以下同文。

 

・だからと言ってこの世の全てが数字で出来ているなどと不遜を言う積もりはない。そんな事は証明できていないし、これからも証明できないと思うからだ。どちらかと言えば、この世界を数字で切り取っているだけではないか。

 

・社会だって、結局は、あらゆる数の比較に落ち着く。地理ならば、生産量だの、緯度経度だの、国の広さだの人口だの、標高だの。

 

・国語はどうよ、と言われれば、美しい文章に算数は関係ないかも知れない。しかし、数式もひとつの言語である以上、国語が日本語(日本の場合)という言語を使って行う思考の展開であり、算数は数式という言語と使って行う思考の展開と言える。両者は同じものと言ってよい。つまり算数で培った能力は必ず国語の力にもフィードバックできる。もちろん、その逆の道順もある。国語であれ算数であれ言語を使って表現するという点で美意識は必要なのである。ただ自然言語の方が発散しやすく表現が多すぎるため、特定の能力を鍛えるという点ではややハードと言える。

 

・音楽。音階がまず算数。リズムもそう。楽譜がまず算数の塊。勿論、音を聞き分ける生理機能には個人差(だいたい生理機能は対数的なものを含む)があるし、訓練によって能力は大きく開花するだろうが、音楽の論理性は算数。学べば西楽と雅楽の違い、クラシックとポップスの違いなども面白くなるだろう。

 

・美術。黄金律は算数、遠近法も算数。ただし美術にはあらゆる学問の統合性みたいな所があるので単純には語り切れないが含むのは間違いない。

 

・家庭科。分量を量るのはもろ算数。時間軸でもの捉えたり、材質の強さ、など算数の活用は計り知れない。家庭科は要は工学(この論で行けば、料理は工学)である。で、工学に算数は必要不可欠。

 

・体育。あらゆるスポーツは物理学。重力と空気抵抗の塊。物理学は算数。物理学ができない人に名選手はありえない。名選手は必ず物理の法則に則って最大のパフォーマンスを発揮する。名選手が物理法則に違反するなどありえない。勿論、それは物理計算が得意とは別事である。つまり、根っこでは算数が動いている。

 

・英語、これが唯一算数に匹敵する重要科目。なぜなら、英語が出来れば将来の選択肢がぐんと広がるから。まず第一に、いつでも日本を捨てる事が出来る点が大きい。もちろん、日本の外は英語だけではない。他にも様々な言語がある。ただ英語の選択肢が一番広い。

 

・能力という意味では、算数も一つの結実に過ぎず、それを支えるのは、観察眼であったり、何かに気付く力だったり、地道な根気良さだったり、くじけなかったり、諦めなかったり、勘の良さだったり、危険を察知してさっつと逃げだす能力だったりする。

 

人類の健闘を祈る。