ハンティングは娯楽である。使用するのは銃である。移動は車である。野生動物に勝ち目はない。ほぼ100%。
所がハンティングした者は、自然は素晴らしいだの、雄々しい相手だっただの、威厳のある姿だの、ほとんど脳みそが腐り落ちたかのようなセリフを平気で口にする。
DNA的欠陥でもなければ、至らない論理的帰結であるのだが、当然ながら、それに気づく知性も欠落している。本気でDNA的欠陥を疑うべきレベルだ。
ハンティングをするなとは言わない。また圧倒的に不利な状況でやれとも言わない。それでも、フェアネスで言えば、人間に許されるアドバンテージはせめて6:4までである。
つまり、やりたきゃ、槍と盾だけでやれ、と言う事。
銃を使って野生動物を撃つのをスポーツとは呼ばないし、娯楽でもない。それはただの虐殺である。窃盗を万引きと呼ぶのと同じ。
だから野生動物保護団体が、今度はこいつを狩るべきなのだ。社会的に、法的に、金銭的に。どこまでも狼のように追い詰めてゆくべきなのだ。ヘルペスのように死ぬまで逃さない。どこまで追い込むつもりかは知れないけれど、世界中に写真が配られ続けるべきだ。
「今度はお前が狩られる番。」
「泣いて謝罪しても決して許さない。」
そういうセリフでもなければやってられない。