衰弱死の3歳児、1カ月半に外出1度 育児放棄常態化か

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この事件への違和感は、当然だが、事件そのものよりも、報道の姿勢にある。何かが欠落している、その違和感が、最初は犯人とされるこの母親にフォーカスされるように記事に誘導される。

 

だが、冷静に読めば、この違和感がこの記事そのものから匂い立つものだという事が分かる。つまり、これを書いた記者は意図的に何かを隠しているのである。

 

人間が社会の中で孤立した状況というのは考えにくい。仮にそういう状況があるなら、その孤立がフォーカスされるべきである。それくらい、この記事には母親と子供しか登場しない。

 

彼女の親はどこへ行った、働いていた店の人たちはどこへ行った。マスコミが大好きな「そんな人には見えなかった」というインタービューはどこへ行った。一緒に旅行していたとかいう友人はどこへ行った。

 

もし彼女が野生動物なら、これはドキュメンタリーの一場面として単に子育てに失敗したケースとして描かれるだろう。動物学者がその理由として彼女もニグレクトされていたとか、そう語るだろう。

 

人間は極めて社会的な生物だから、野性同様に育った場合はこういう事が起きるのも当然という気がする。野生にしてはよく3年も育てられたと感心さえする。

 

さて、本当の所はどういった事情か。育児放棄そのものは生物である以上、当然起きうる。其れに対して社会がどう対応しているか、実は知らない。たぶん、市役所などにそれを担う部門があるとは思うが、どうせ予算も人員も不足して苦労されている事だろう。

 

この記事が示すものが、実は中身が空っぽという点で、自分が編集長ならお前は何を取材してきたんだ、お前は警察発表のスピーカーに過ぎないのか、と叱責するだろうが、恐らく担当記者は高い給料をもらっているので、こう反論するだろう。

 

それは我々の仕事ではありません。それは文春らの週刊誌の仕事です。彼らの特集記事に先行して情報を流すのは我々の協定に反します。