法廷で証言したら逆恨み…突然男が訪れ「無実だ」、つきまとい 刑事裁判の証人、保護強化の動き

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産経新聞は古い記事を長く公開する側に立っている。公共性で鑑みても非常に正しい態度と思う。

 

さて、司法制度を維持するには、それを崩壊させる行為に対しては厳罰に処すべきである。ばれなきゃやるという態度で挑む者には極刑も厭わず対処すべきである。

 

陪審の買収や脅迫は、する方より、それを証拠立てに使用し証明する側、つまり検察に基本的に不利なように組み立てられている。

 

なぜかと言えばそれは彼らが権力側にいるからである。権力の横暴とマフィアの横暴を比べれば、そりゃマフィアの横暴の方が被害は遥かに小さい。それが基本原則にある。

 

は置いておくとしても、この記事にある宣伝屋の文章は、兎に角、偏見を持たせる事で論を進める典型の手法である。

 

見た見ていないは、どちらの立場もありうる。目撃証言が正しく被告が嘘をついているケースと、目撃証言が間違っており被告の方が正しいケースである。勿論、目撃証言は正しいが被告も正しいケースも目撃証言が間違っており被告も嘘を付いているケースもあるだろうが、ここでは割愛する。

 

目撃したから正しいなど19世紀的真実であって、21世紀の研究では否定される。目撃証言はひとつの真実を語るが、それがカメラに取ったようになにひとつ間違いないという訳にはいかない。服の色や車種さえ間違える目撃証言など腐るほどある。

 

つまり目撃証言は状況証拠のひとつてあって、決定的証拠となるかどうかはそれを補完する何かを必要とする。たとえば監視カメラの映像であるとか。

 

裁判は目撃証拠が示す方向で結審した。恐らくそれを支持する他の証拠もあったの事と考えるのが妥当である。日本の裁判官の程度の低さを考えると極めてグレーであるが。それ以外の証拠がなくても検察側を支持する裁判官が日本には非常に多い。それくらい司法の劣化は激しいが、検察の犬問題はまた別の課題である。

 

問題とすべきは、このAとBの関係を描くのに、Bを無職と呼び、無実をまくしたてて、捨て台詞まで残した記事の描写にある。

 

これは明らかに、一方的な記述であろう。その一方的な立場によって、論を決定しようという意図が明らかである。当然ながら、被害者や証人は保護する観点からも明示は禁止であろうが、写真付きの後ろ姿を載せたのは事件のリアリティを上げるためであろう。

 

あるひとつの主張、ここでは被害者や証人の保護、を強力に後押しする為には、かくあらねばならぬという記事も必要であろう。そして世論に問う態度も報道機関には必要であろう。それを堂々と行っている記事の見本である。あるひとつの方向に読者をもってゆくためにあらゆる手法を投入している。

 

産経を新聞と呼ぶに値するかどうかは別として、この記事は明らかな宣伝である。ある運動を進めるための啓蒙である。故に、警戒が必要であるという結論に至る。

 

証人の保護が必要だという時に、それで危険な目にあった人を持ち出して論じれば世論は賛意を示すに決まっている。誰も反対などしない。だから全面的に賛意の記事を書き、最後に少しだけ反対や懸念の意見も載せておく。これで両論併記したと主張する訳である。

 

これは啓蒙かもしれないが、我々が何かを学んだり、疑問について自ら問う態度とは真っ向から逆の態度であろう。これは従えるための議論であって、理解するために深く学ぶ態度ではない。既に啓蒙という手法は対立軸を先鋭化する為の手法に過ぎないのである。

 

本当の敵はあなたの正面に立ちなどしない。必ずあなたの背後に立つ。そしてゆっくりと静かに到来を待っている。あなたが振り返った時には常に笑顔を振りまきつつ。という事を深く思い知るなら、このような記事は時代にふさわしいとは思えないのである。