写真集年間1位! 乃木坂46・白石麻衣 撮り下ろし&写真集『パスポート』

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白石麻衣は、もう、どこへでも行ける。写真集を眺めながら、ふとそんなことを思った」秋元康  

 

乃木坂は「おいでシャンプー」それだけ。

 

 これも最高だ。

 

アイドルの存在は、その時代を代表する風俗としてのアイコニックであり、そこに登場する現実の男性も女性も象徴としての実在に変身しなければならない。それは当然、演じる事になる。

 

しかし、人はどのような人でも演じる部分を持つ存在である。それは高度に発展した脳を持ってしまった生物の宿命であって、人間の目が肌の色から相手の感情を読み取る方向に進化したという現実もそれを裏付ける。

 

表があれば裏がある。そして隠している裏の顔こそが本当の顔と認識される。よって観客たちは表の顔から裏の顔を探りたいと思っているのであって、その機敏な情報を一瞬たりとも逃さないと行動する。月の裏の写真を撮る事が重要であった米ソの対立と何も変わりはしない。

 

自分だけが知っているという感情は、独占欲の裏返し、所有欲の実感と言っても良く、しかし、それが個人のアイデンティティを支え、不安を解消するものである。このメンタル的充実は彼女らを頂点とした階層社会の射影であるから、本来的にはそれは性的本能を超え、群れの中での確かさ、その充足の代替手段と見做せる。卒業するとは、その群れという集団から出てゆく事と同じだ。

 

風俗にヘルスとソープという二大形態があるように、芸能にもタレントと女優という区分けがある。誰もがいつかどこかで選ばなければならない。ふたつの間に厳然する大きな溝、決して超えられない壁が、わずか10年の彼女たちの戦術に影響する。

 

いずれにしろ、私生活など退屈なのである。そこから逃れるために存在する、現実の中に咲く空想の巨大な消費財、その多くに LifeTime がある。

 

年齢という自然が惜しみなく花を散らす。花が散ってもなお残るのが芸であると昔の人が書き残した。しかし若い時の独特の魅力には、決して勝てない所があり、如何に芸を尽くそうと若さには到底かなわない所がある。その花はある時期にしか開かない。それは恒星の一生に例える事もできる。輝けるのは、ある時期だけなのである。

 

手離したとは、早い話が残された時間がもうないと同じ意味で、どう言葉を尽くそうが、一番良い時期は終わったという意味になる。だが、それはある意味、生まれつき持った天性だけの世界であり、本当の始まりはこれからである。

 

制服を脱ぐ時が来た。魔法はもうない。私服に着替えたら新しいスニーカーを履いて歩いて出て行こう。長濱ねるも白石麻衣も、もう群れの中にはいない。

 

これまでは、階層の中での自分の階級をファンも求めていた。しかし、もうその中にはいない。その手はもう使えない。護送船団ではないのだ。自立して個として歩く以上、そういうものとの決別である。必ずどこかにあなたに相応しい場所がある。

 

人々はそれをプロミスドランドと呼び、シャングリラと呼び、ユートピアと呼び、パラダイスと呼んできた。つまり、そんな場所などない証拠である。あなたのいる場所が、あなたの玉座だ、そう銀河では言われている。