日本沈没 #2

www.tbs.co.jp

 

CASTLE Season1の再放送が始まったものだから Stana Katic/Kate Beckettの初々しさに感動する毎日である。決まって良い表情の時は髪型を決めているものだからスタイリストとの協働なのだろう。このドラマも主役がふたりという典型である。

 

残念ながらNathan Fillionとの不仲もあって Season 8で Castle はcanceledされた。面白いドラマは大体その辺りで終わるのが良いとしたものである。例外はそう多くはない。

 

ふたりの主役のドラマでは、w版沈まぬ太陽も捨てがたい。上川隆也渡部篤郎のふたりが全く違う演技の質で共に拮抗し、また数多の脇役の素晴らしさもあってドラマは重厚にして飽きの来ないものになっている。長塚京三の演技に開眼せよ。

 

最近では病院の治しかたの小泉孝太郎高嶋政伸のコンビは、能天気な明るさと深刻な心配性とでもいうべきふたりの対比がひとつの結果に向かってゆく様がいい。

 

同様に日本沈没小栗旬松山ケンイチのふたりが居るから動と静という対比がドラマを面白くさせている。自分の視点がふたりの主役を通して好きな方を選べるという構図になっている。

 

しかし残念なのは、國村隼が早々にデータ改竄という詰まらない脇役に落ちぶれた事だ。この人の重厚な演技は、香川照之の嘘くささを打ち消すために必要だと思ったのだが、脚本家たちはそういう判断をしなかった。

 

簡単な悪役をドラマの中に存在させる事ほどとても質を薄っぺらくするものはない。それは主役を際立たせるためだけで用意されたものだが、それが弱いと主役のリアリティを支え切れない。主役が輝くためには、自分が輝くだけでは足りないのだ。

 

誰一人として悪役を必要としないドラマの場合は特にそうなる。安易な脚本家は、直ぐに無能な人間を配置してドラマを動かそうとする。

 

日本沈没という大きなイベントが目前にある。そういう時に無能な人間を用意する必要はない。全員で向かっても敗北するのが分かり切っているのだ。今更、無能がいてかき混ぜなくとも全力で当たっても厳しい。そういう風に描くべきだ。

 

再生の物語とは人は如何に挫折から立ち上がるかである。それを描き切らなければ沈没する日本の説得力が支えられない。

 

少なくともシンゴジラにはそういう人物を必要としなかった。演出家の無能に付き合うのは時間の無駄だと思うのは妥当な結論であろう。誰ひとり無能など居なくても、否応なく自然は人から大切なものを奪う。それをまざまざと見せつければ十分である。

 

この先からが本当に物語が動く。導入部を終えた。どのような向きに動いてゆくのか。予算不足である。CGなどで説得力のある絵が描き切れるはずがない。中国とはもう資金が違うのだ。

 

だから絵空事にどのように説得力を持たせるのか。小さく説得すれば架空となる。大きく説得しなければ迫真のドラマになりようがない。あらゆる矛盾さえ飲み込んで進む駆動力が必要である。

 

さて、次はどこへ連れて行ってくれるだろう。