香川照之「これで最後まで通すの大変だな…」 『日本沈没』怪演の裏話

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日本沈没で、初回が面白かったのは俳優陣の怪演に依る所が大きいと思う。


小栗旬は、主役としては単純化されており、視聴者の感情のガイド役として機能している。だから田所博士への支持に回る第一話のクライマックスでは、こいつ頭おかしいと思わせないための説得力が必要である。そこが脚本家が最も苦労した所だと思うが、ドラマとしてははっきり失敗している。つまり説得力はない。少なくとも説得力のある感情の起伏はなかった。

 

しかし、そういうものはドラマの作法として受け取ればよく、気にならなくするのは簡単である。脚本家や演出家の力量に負わなくてもこのよく知られているドラマでは別に不都合はない。そういう意味では彼の演技に求められるのは、周囲の奇異の目を撥ねつけるだけの主人公然とした決断さえあればよく、それはよく発揮されていたと感じた。

 

松山ケンイチは、第一話ではダブル主役と言ってよく、物語がスムーズに動く為に敢えて一歩引き、冷静に物語をトレースする観客たちの受け皿としてきちんと機能していた。もちろん、科学的にどうこうの議論に耐えられるような脚本ではないので、よくある赤と青のライバル関係を同一線上に配置したと言っても良く、そういう二重構造によって、物語を見る観客を受け止めるののもう一つの柱として機能していた。

 

その点では松山ケンイチの方の演技が好きという人も居るはずだ。よって今後は主人公と対立する可能性は充分にある。しかし物語の規模や今後の展開から言うと、そんな暇はあるのかという話はある。どこまで描くかによって途中打ち切りの漫画のような割り切り方をすれば、対立構造はあるかも知れない。

 

杏は、報道に携わる俳優として、今後の世論をコントロールする象徴としての役割を負うはずで、物語の進行においては混乱と収束の都合よい接点として使われる事になる。俳優としての力量というよりどれくらい個と公の間をスムーズに説得力を持って取り込めるかという部分に特化して機能を発揮する事になるだろう。

 

國村隼は、物語のリアリティ全てを支えるはずの機能である。つまり真っ当な科学を代表する立場であって、コロナ禍の感染症対策分科会会長と同一線上にある。だからこの人がリアリティを支えられないと物語は単なる陰謀論の跋扈に変わってしまう。特に香川がそういう雰囲気にまみれているので、それをきちんと中和しないと説得力が失われてしまう。マッドサイエンティスト主導で政府が動くようでは困るのである。

 

TBSが報道機関としては良い点もあるが、それを打ち消すくらいに悪い点もある所で、TBSの良心を代表する役であると言っても良い。だから、第一話で早速わだつみの録画を編集した疑惑を作ったのは頂けない。そういうやり方では駄目で、この人の立場こそが物語を支える、ある意味で物語の駆動輪なのである。

 

当初は科学的正統性から沈没を批判し、次に疑惑に同意し、最後はその結論を認めるという流れが物語の通奏低音なのである。この人が鳴っていないとどうしようもない。権謀術数の手先となって陰謀論を展開するようでは話にならないのである。

 

仲村トオルが総理大臣の役目をしていたが、この人が総理なら政権交代をしている方が説得力がある。でもそうなると副総理との間での派閥闘争に説得力がない。よって、これは自民党政権における物語と理解するしかないが、するとちょっと若すぎるし力がない気がする。もし傀儡ならそういう演技をすべきであるが、少し演技の圧が弱い気がする。

 

気に食わない事があって椅子を蹴るシーンがあったが、自分の立場など十分に承知して総理になったはずなのだから、これには説得力がない。日本ドラマでよくある、叫んだり、感情を爆発すればとりあえず動かしても構わない演出には手を出さない方がいい。これはドラッグと同じである。脚本家の力量不足であろう。どこかでこの人が中心となって物語の方向性を決定するのであるから、その時にどのような演技をするか注目である。

 

香川照之はいつものパターンで、こういう演技しかできないだろう、というものだった。孤立して孤独な人間が持つ特有さの胡散臭さは演技を超えているキャラクターという感じがする。そもそも田所博士が主流派から追放された設定はそのうち描かれると思うが、今のままでは大部分の人は、お前が悪いで終わってしまうと思う。

 

当然だが、日本の学術にもドロドロもグログロもあるとは思うが、今回のドラマでそれを描く必要はない。というのも日本沈没は結局は國村隼香川照之がタッグを組んで沈没に立ち向かう辺りからが面白くなるはずなので、その辺りは原作がどうかは別にして全体が動き出した時に今のままのキャラクターだと辛い。どこかで人物が変わるはずである。

 

ホラン千秋のナレーションは良かった。物語をリセットするくさびみたいで声というか、語り口が好ましい。なんとなく、過去を顧みている感じがするのは何かエッジを利かしているのだろうか。

 

日本沈没はわだつみの描写が全てであるが、今回のドラマはそれがあまりに詰まらなかった。この造形ならプラモデルにする必要さえない。そこが詰まらない。面白くない。しかも、科学的根拠を求めて潜ったのに病人が出て途中で打ち切る。その打ち切った内容で結論を出すというお粗末さ。しかも病人になった人の理由が閉所恐怖症だから、だと?お前も官僚なら死んでも国に尽くせ、そもそも最初から乗るのを断れとしか思えない体たらくである。

 

コントかである。そういう本当は最も重要だが、科学的な観点から見たら成立しない処さえ譲れば物語は大変面白いと感じた。特にシンゴジラの影響は強く感じたし、そう思えば小松左京シンゴジラをみたらなんといって喜ぶだろうと思ったりもした。

 

科学的根拠がある訳ではないが、地滑り的に日本が沈没するとは思わない。日本近辺でプレートが割れる、それで氷山が崩れるように断層にそってプレートが細切れとなって倒れてゆく、そのため日本列島が小さな諸島になる。とともに海面上昇によって将来的には平野の大部分を失ってしまう、そういう方がリアリティがあるか。

 

そうなると一億人が居住する空間は確保できない。関東平野の70%は海底になるくらいならありそうである。それにどうするのか。その場合も多数の日本人が避難を必要とする。多くの企業は工場を見捨てなければならないかも知れない。だいたいが同じストーリーを辿るはずである。

 

日本沈没は日本列島から日本人が離れるという物語である。だからもし日本列島に残って沈没に対抗すると日本沈没ではなくなってしまう。残るという選択はイメージしにくいし拒絶される物語になっている。しかし現在に脚本を書くならそういう物語も可能で、関東平野が海に沈む程度なら巨大な堤防を作って対抗する事は可能だ。

 

日本沈没という物語を現在の技術で描けば少し絵空事に感じる。そこにリアリティを持たせるには東日本大震災はあまりに強く残っている。人々の避難という現実を知っているから、そこがリアリティの根幹になっている。

 

シンゴジラはそれを踏まえて東京を描き切った。あの火の海でどれだけの人が亡くなったかは描かなかったが、それは演出の巧さであって、今回のドラマのスタッフ陣も、私は好きにした、君らも好きにしろの言葉を噛みしめているだろうと思われる訳である。