日本沈没は小松左京原作の作品。この話以降、日本を舞台にした後日譚が書けないという点で、後日譚を海外で展開するしかないと言う点で、とても面白い宿題を残してくれた感がある。つまり、終わりであるにも係わらず始まりである物語なのである。
当然ながら、住んでいる場所を失うという物語は古代から沢山ある。楽園追放などその筆頭であろう。ヤマトの物語もその崖っぷちから始まった。もっと卑近な現実的な空想力を働かても、宇宙コロニーを戦争で失うガンダムの世界観は、今の我々にはそう簡単には分からない。
自分の人生をずうっと過ごした場所が、そのうち、人の手によって解体されてなくなる空疎感は、農耕的な民族には耐えがたいと思われる。目の前のある石は生まれる前から存在し、死んだ後も残り続ける、そういうものが世界観の基本にある。農耕というものは田さえ残っていれば生きて行けるという生命力の根っこのようなものと密接に繋がっている。
一方で都市化した居住空間の人々は、土地とか山とかの実体よりも、より架空的な、仮想空間的なものを実体と捉えるようになるはずだ。それは電子的なものと相性がいい。養老孟司の脳化社会はそういう指摘だろう。
東京には空がないと千恵子が謡ったが、本当にないのは山ではないか。関東は富士である。千恵子は富士山では山の感覚がしなかったのではないか。山と山地と山脈では自ずと感覚が違うように信じられる。
いずれにしろオーストラリアが5000万年後に日本と衝突すると(計算上は)言われている。衝突する前に海溝に沈み込むと思われるが、あれだけの巨体だと海溝を埋めて上に乗りあげてずんずん進むんだろう。
海溝を埋めると何が起きるか。海水がプレート深部に運ばれる量が減るので、これがどのような事象を生むかは興味深い。地下におけるマントルの動きにも影響するはずで、火山の活動や地震の起き方も変わる気はする。
いずれにしろ衝突すればインドようになる。よってエベレストのような山脈が日本に生まれる。押されて日本海は狭まるか。さて、ここで問題とすべきは、オーストラリアが日本領に侵入したのか、日本がオーストラリアの領土に侵入したのか。
激しく押されて大陸と地続きになれば更に話はややこしい。韓国、中国、ロシアと悩みは尽きない。今から立法しておく必要はないが、いずれにしろ、多くの地学の人たちは日本が沈没するとは考えてはいない訳である。
どちらにしろ日本沈没の最大の魅力はわだつみにある。古いのも新しいものも魅力的である。深海潜水艇ほどロマンあふれる乗り物はない。これはバチスカーフ発明以来の真理である。基本構想は変わらないにしても時代毎のデザイン性というものが反映されるわけで、わだつみがどのようなデザインになるのか、それをどのように動かすのか。
日本沈没の証拠を示す物語上の重要なシーンを支える機体だから、ここを楽しみにするのは当然と考えている。一方で実際にしんかいに乗せてやると言われたら断固拒否する。あんな狭い空間にトイレもなく(おむつをして乗る)八時間も閉じ込められるなど許容できない。あんな乗り物は人間の自由に対する明白な挑戦である。
我々は福島第一原発の時の避難を知っているので、相当な作り込みをしないとドラマとして説得力を得るのは難しい。どのような避難計画を立てるのか、その時の予算はどのように計上するのか。
そもそも国家のあらゆる資産が失われ観光などの資源もなくなる。つまり数年先に税収ゼロとなる国家に海外がどのような支援をしてくれるのか。数十万人の難民にさえ右往左往しなければならないヨーロッパの事例を見ても一億という人口がどこに行くのか、という話は、原作にも書かれているだろうが、そんな小松でさえ実際の阪神淡路大震災には衝撃を受けたと告白している。日本を沈めてもそうなのである。自分の想像力など取るに足らない証左であろう。
つまり、この作品に取り組むのは脚本家にとっては、悩み所が満載の面白さなのである。ましてコロナ禍であって計画通りには人間は動かないし、人を怒鳴りつけた所で官僚は動いても状況が好転する訳ではない。
ワクチンの接種数が良好に推移したのは、色んな人の努力による賜物だが、怒鳴りつけたから動いた訳ではない。それを見せつけた事で菅義偉内閣は一年の短命で終わってしまった。安倍晋三とともに10年近く内閣を支え続けた人でさえ人間は動かせても自然には無力であった。そのことに気付かないまま一生を終えるであろう。
パンデミックならばそうは言っても経済のみの問題に帰結する。火山、地震はそうはいかない。インフラが失われてゆく。何十万単位で、インフラを失えれば、それを支える能力は日本にはない(世界のどこにもない)。恐らく飢えさせなくする事さえ難しい。
連鎖的に無法地帯が拡大してゆく。そもそも、有力な人はあっという間に海外に逃げえるから資金は更に足りない。税収など期待しようがない。早く逃げられる人たちでさえ、それは向こう様が受け入れてくれる限りである。何十億という金を払って入国させてもらうという事が起きる。国内に残るのは資産を持たない人たちと、覚悟を決めた人だけになる。
数カ月の短期には辛抱強く乗り切る事は日本人の美徳であるが、これは日本の自然の復元力への圧倒的な信頼が裏付けているからである。国土が失われるとなれば、これが根底から崩れてしまう。その時のアイデンティティの喪失、共同体の崩壊は小室直樹が語る所のアノミーを生み出す。
という事は物語はその状況からどう再生するのか、というテーマになるはずで、観客が持っている前提条件、つまり自分はこのような状況でも人間らしく生きてゆくという思いを徹底的に破壊した上で再生の物語として紡ぐのか、その前提は尊重したまま残した上で、では如何に動くべきか、如何に生きるべきかというシミュレーションとしての面白さを成立させるのか、または富裕層として海外から混乱を見るという立場に立ってもらうか。そういう視点のハイブリットとして提供せざるえまい。
制作者たちは、東日本大震災とコロナ禍とリンクして日本沈没を企画したはず。その上でそのテーマが面白いと判断したからGoをした。これはある意味ではTBSのドラマ班の価値観を全面に押し出さないと成立しない。これだけの作品を話題作りだけで手を出した可能性もTBSだから少しはあるが、通常は考えにくい。
とするとこのドラマには製作者たちの人間に対する揺ぎ無いメッセージがあるはずで、そうである以上、人間愛で丸く治めるだの、困難な状況でも叫んだら解決するといった、圧倒的科学無視の流れはないと思う。もちろん、最後に神が降臨するみたいなシーンもありな気がするが、その場合は神の乗り物は宇宙船でないと困ってしまう。
いずれにしろ「わだつみ」がこの物語の主役である。