日本沈没 #3

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今、ドラマで一番面白いのが運命の桃花。この2019年の中国のドラマに運良く一話目で出会えたのは幸運だった。CGの完成度は高いとは感じないが、その世界観の面白さ、チャン・チェンの存在感、ニー・ニーの物語を動かす間の良さ、その他の魅力的な俳優たち。

 

なにより脚本家の力か、俳優の力量かは知らないが、ユーモアが面白い。その間の取り方がよい空間を生み出していて、それを楽しみに見ると言っても過言ではない。

 

なにより中国の礼節だろうか、挨拶する時に手を前で組む姿が見ていて楽しい。ここまで完成されたものかと遣唐使になった気分で感心している。アジアの中心を占めた理由が分かる気がする。

 

そこには日本の時代劇にはない違った優雅さを感じる。それは韓国のドラマともまた違った感じがする。どこまで行っても自分たちを育んだ文化の影響はにじみ出るようだ。

 

ドラマはそれを生んだ国の沢山の人が係わって制作される。否応なしに政治、宗教、文化、タブーなどのが色濃く出る。そうであってもどの国の作品であっても、それはみな素晴らしいものだ。

 

日本人から見ると、エンディングに流れるスタッフのリストを眺めているだけでもう圧倒されてしまう。そこで一種のカタルシスを感じる。これだけの人が参加してその全員が職務を果たしてこれだけの作品を作り上げる。セットのちょっとした派手さ、CGを重ねる編集の人たち、そういう所にもスタッフの人たちの息遣いが感じられるのはこの作品がファンタジーだからだろうか。

 

あらゆる場所が空想の産物であり人為的に誰かが描いたもので構成されている。それはどちらかと言えばアニメーションに近い。実写が出てきたのは今の所、砂漠くらいではないか。

 

さて、日本沈没も #3である。物語を紡ぐのに綻びが見え始めた気がする。少し脚本家の力量が足りないか、時間的制約からか。例えば、オフレコという話を会議の場で公然と話し出す小栗旬である。通常、こういう裏切るを許すケースはサラリーマンであれ官僚であれいない。

 

政治は信なくば立たずというが、通常のあらゆる業務がそうである。信にどれくらいの重きを置くかで、個人の繋がりを重視する日本型の組織と、契約を重視するアメリカ型の組織と、違いが出ると言っても良い。

 

それでもどの世界でもオフレコを許可なく、事前通告なく、裁判の場でもなく話すのはアウトなのである。これは人類が長く歴史を積み上げて見つけた経験知だ。その行動の理由が例え世界滅亡であってもである。信なくば立たずとは、信を失うくらいなら滅びよという意味である。

 

だから説得力が急激に失われてゆく。このなりふり構わない小栗旬を見ていると、どうもデマの人たちの行動原理に近い。反原発の人がなりふり構わず原発廃止に向かうのも、議論は一切なく、仁義も倫理も必要ない。今少しでも早く止めないと人類は滅亡する。反ワクチンの人がなりふり構わず自分の家族を守ろうと運動する。その気持ちは分からぬではないが、Qアノンの言説を全力で信じなければ我々の子孫はとんでもない目に合ってしまう。フェミニズムは今や宗教になろうとしている。もちろん彼/彼女たちなりの根拠を示した上での行動である。

 

正義がある時に人々は従来とは異なる新しい行動に出る。これは真なのである。なぜなら正義とはルールの事だから。新しい正義には新しいルールがある。古い正義にも古いルールがある。

 

よってふたつの正義はルールを巡って争わざるを得ない。しかし、オフレコと言った話を広言する人間を許容する社会は恐らく一万年くらいでは到来しない。それは信用の問題であるが、逆に言えば裏切る前提という話である。だから一度失えば情報は遮断される。

 

情報を遮断されれば、如何なる人間も稚児のようにしか振る舞えない。これも太古以来の真であろう。捕まると知っていてなお行く先を変えなかったキリストは我々とは違うのである。

 

そんな感情を抱きながら見てると、そういえばTBSにはそういう傾向があるテレビ局だったという気がしてくる。デマを流したりカルト教団の片棒を担ぐような行動をした気がする。どのような背景があったか失念したが、カルトじみた日本沈没という命題に対して、どう大団円に向かわすのか分からなくなってきた。

 

もちろん、そんな小さな話は気にするなという立場も可能である。

 

この半年以内に起きるとは、明日起きるかも知れないという事です、もう一時も待てません。この台詞は、当然311に間に合わなかった福島第一発電所の20m越え堤防についての言及であろう。もしそれが建設されていれば、我々は全く違う歴史を見ていた筈だ。そして世界は温暖化対策のために原子力発電に大きく舵を切り、その結果がどうなっていたか。それを考えるのは SF作家の仕事だ。

 

さて、松山ケンイチがこの先をどう支えるのか、ここで変に理解を示せば説得力を失う。かといって対立しないのも単なるお人よしか、財閥のおぼっちゃんかよと人間性が詰まらなくなる。でも二人の対立が絶対だとしても、プロジェクトが暗礁に乗り上げるだけの事件ではそう面白くなる気がしない。

 

すると、この先でもうひとつ別のプロジェクトが始動しているという事になるのだろうか。仲違いした松山ケンイチはそこを秘密裡に進めてゆく。そのプロジェクトと小栗旬が争いながら舵取りをしてゆくみたいな伏線だろうか。

 

情報リークにより大企業や政治家たちがインサイダーに走るという話中の描き方は鋭いと思った。この先で沈没するのは関東だけではないという所に持ってゆくための布石だとは思うが、かといって、政治家、大企業を悪役とするだけでは、事の重大さと比べると些細な話になろうし、富裕層は早々に海外に脱出したとかナレーションで話されても面白くない気がする。

 

今のままでは小栗旬は単なるカルトになってしまう。デマを信じた一官僚にしか見えない。役人とは何より手続きを尊ぶ生物である。それをないがしろにする人物が政府や機関を動かせるはずがない。ペンは剣よりも強しとはそういう意味だ。もしそこに天才学者が居るなら、なだめて落ち着かせ脅して無理強いしてでもパイク役となるのが仕事だ。自分も一緒になって飛び出してどうする。

 

いずれにしろ、人物関係が次回、大きく動くと思うととても楽しみだ。