生しらすは恐怖! 日本人が普通に食べているけど外国人はガクブルな食べ物

20woman.mynavi.jp

 

物語のひとつの作り方は、偏見や間抜けを出して、そいつが作り出す窮地、危機に対して、主人公がそれを解決するというものだ。

 

この時に、前もって提示する偏見が一理あればあるほど、それを上書きしたときの爽快感が読者には得られる。そういう構造のストーリーは注意深く見ればとても多い。

 

例えば戦争もので窮地に立たされる時。必ず現れる無能な上官というものはその典型である。視聴者の嫌悪を一身に受けるという意味では、演じる俳優にとっては腕の見せ所。作品の成功はその人の演技力に全て掛かっていると言っても過言ではない。よき作品ほど力のある俳優が必須なのである。

 

という事を日本人に教えてくれたのが美味しんぼというマンガであって、これを一読すればこの作品が古い偏見を新しい偏見で上書きしているだけの構造に気付く。しかしそれに気づくのに20年以上かかったのだから、僕の知能も大したことはない。

 

という事を踏まえてみれば、この殆ど日本人の悪意を一身に受ける為に登場した人物が哀れでもある。そのテンプレートが哀しい。作中での振る舞いは如何にもだが、どれもこれも、おのれの無知をさらけ出し、自分たちを棚に上げにし、殆ど下等生物以下の知能である。

 

もちろん、文化や習慣の違いを面白おかしく語っているような所から如何に偏見があるか、如何に無知があるかを指摘される事の根本にあるのが、それは知識の問題であって、人間性の悪ではない点にある。それは誤解だよ~というものもあるであろうが、そういうのを掠め取って作品中ではその無知が人間性に交換されて示される。悪である以上、それを叩くのに躊躇はない。それが美味しんぼの基本構造なのである。

 

よってその基本構造において、転向する、啓蒙するという考えが成立する。その人間性は無知によって生じているのだから、確かな知識を得れば改善できるのである。知識のアップデートは果たして人間性のアップデートであるのか?

 

骨は捨てて欲しいフランス人、お前ら腐った魚しか食えなくて香辛料やソースで味をごまかしている(コロンブスにて確認済み)くせにうるさいんだよーとか、イカやタコが味がしないとかって、味覚障害を患った味音痴はマクドナルドでも食ってろ(スーパーサイズ・ミーにて確認済み)って気もするし、納豆の匂いとかって、お前ら寝るときも靴を脱がずにベットに入り込むお前ら(アメリカ、ドラマにて確認済み)のほうがよっぽど臭いんだよーとか。

 

当然ながら、こういう構造は偏見ありまくりで反論可能がより窓口を広げるのである。つまり、偏見を別の偏見で上書きする快感を提供するにはその他の偏見はシャットアウトしておく必要がある。いまどき、自分の記事がどのような反論を受けるかを予想しておくのは当然であろう。しかし人は思いもよらない方向から攻撃を受けるものである。

 

そういうリアクションも含めてアクセス数を向上させる。放火魔は騒がない、じっと見つめている。本当にけしかけている連中は姿を見せない。そして煽るだけあおり、混乱の中に利益を求める。

 

波が来たからってすぐにサーフィンで乗り出せばいいというものではない、という話である。

 

右を見て、左を見て、上を見て、下を見て、全方位確認、ミサイル一斉発射するイデオンスタイルが正しい戦略だと思った。