【マスターズ】復帰タイガー・ウッズ全英オープン出場意向

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マスターズを見ながらタイガーウッズだけはなぜ別格と考えるのだろうと感慨に襲われた。

 

タイガーウッズ以前にも名プレイヤーは沢山いる。世界中に愛され熱狂された選手も数多いる。

 

足をひきずりながら歩くタイガーの姿にベンホーガンの名を重ねた人も居るだろう。The Openは今年150thを向かえる。この長い歴史の中で、多くのプレイヤーが挑み、そして何度も革命と呼ばれる事件が起き、ゴルフが世界に浸透していった。その積み重ねの中には、おもちゃのクラブでボールを打つ子供たちも含まれている。

 

どの時代の人にとってはこの人は別格というプレイヤーがいるだろう。ジャック・ニクラスは今でも帝王と呼ぶにふさわしい。オーガスタの歌詞に登場する多くのプレイヤーの最後を飾るボビー・ジョーンズ。

 

ゴルフの歴史がどうであれ、これからどう変わってゆこうと、タイガーウッズという存在を特殊と思う自分がいる。タイガーによって何が変わったのだろう、とテレビを見ながらが不思議に思う。

 

これだけ強くてこれだけ苦労してきたプレイヤー、もし2009年の不倫騒動がなければもっと記録を伸ばしていただろう。セックス依存症とまで言われたが浮気相手を見ればそれが黒人としての劣等感に根差すのは明らかだ。典型的な美しい白人女性の写真が並んでいればタイガーウッズほどの選手でもアメリカにある白人と黒人の間に横たわる人種の壁を意識せずにはいられなかった。

 

この年からタイガーは確実に、年齢的なものも含めて下り坂であった。それでも2019年にマスターズで復活する。なぜこんなにもタイガーからは目を離せないのだろう。

 

2022年、事故からの復帰であるマスターズ。状況はそんなに良いはずではないのに、なぜか期待してしまう。もしかしたら最終日に何か起きるのではないか。今年の最終成績は良くはなかった。日を追うごとに結果が悪くなってゆく。足を庇うように歩くしかなかったタイガー。コンディションは決して良かった訳ではないのだろう。

 

それでも彼のプレーする姿を見ているとアスリートという言葉が自然と浮かんでくる。彼以降のゴルフ選手には、男女問わず、アスリートと呼べてしまう何かがある。何故だろう。

 

体つきが良く鍛えられているからか?それがアスリートの条件とまでは言えない。タイガーの体つきを見ればトレーニングの結果を見る事ができる。しかし、恐らく肉体的なトレーニングを取り入れたのは決してタイガーが最初ではないはずである。

 

ではプレースタイルのどこかにアスリートとそうでない何かを分けるものがあるのか。テレビで観戦をしている限り、そんな違いはない。どんな選手も全力でのプレーを繰り返している。

 

何かに挑戦している姿をタイガーから感じる。しかしそれは全プレイヤーであるはずだ。挑戦などその辺のアマチュアゴルファーだって果敢にも無理無茶も気にせず挑んいる。

 

この秘密がある限り、誰よりもタイガーを目で追ってしまう自分がいる。生物はなぜか老いるようにプログラミングされている。それもゆっくりと。ゴルフ選手も囲碁や将棋の棋士も、誰もこの時間の壁を超える事はできない。

 

群れる生物群においては、最大の敵は捕食者である。その捕食者から集団を守るには、若い個体が生き延びる必要がある。生まれたばかりの個体からいなくなれば群れは滅びるしかない。

 

すると自然淘汰当然の帰結として年をとった個体から捕食されるのが望ましいとなる。だから老化する仕組みを持った集団は、そうでない集団よりも生き延びる可能性が高くなるだろう。

 

しかし老い方にもある特定の条件が必要なはずである。簡単に一気に弱ってしまえば、あっと言う間に捕食され捕食者の数が増えてしまう。それは群れからすれば得策ではない。一気に老いたり弱くなる事は決して望ましい戦略ではない。

 

徐々に弱くなっていく。すこしずつ捕食者に追いつかれそうになる。そして最後はなんとか狩られるくらいに弱くなる方がいい。逃げられそうで、逃げられない、その微妙な塩梅があればこそ、捕食者もターゲットとして目を付けるのである。そして群れは生き延びる事ができた。

 

そういう進化圧があったとしても不思議はない。それは生物としての人間も同様であろう。多くの名プレイヤーと同じようにタイガーもいつかは線を引く日がくる。

 

それでもそれまではタイガーを見ることが止められないだろう。

 

いつも心にタイガーを。それが僕の時代だから。