被災地で窃盗被害相次ぐ=避難で留守中、悪徳商法も―能登地震

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火事場泥棒は災害時の常とはいえ、警察組織も機能していない状況で、どのように防ぐか、という問題は、司法の大原則である如何に冤罪を起こさないで犯罪者を確保処罰するかの問題に尽きる。

 

健全な状況であっても冤罪は尽きぬし、東京都および警視庁は欺瞞による自らの犯罪的捜査に関しても反省もしないが、政治家の追求も初めから予定調和があって、民主主義の世界で政治家を特権扱いするという人類史にも奇異な存在たろうとしている。東京のロシア化は既に既定路線であって、災害時だけ健全性を要求する方が狂っている。

 

つまり司法制度が機能していない状況では人間は自発的に生存権の発動のため、自警団を構成せざるを得ず、そこでは火事場泥棒は殺してもいいという極論は成立しうる。少なくともこれだけの災害大国でそのような限界状況において市民は如何に行動すべきか、その指針も指標も誰も構築してこなかった。

 

災害が起きてから健全性を求めらられても全てが遅すぎるのである。間抜けを自覚するならもっと早くから準備しておくべきである。

 

だから冤罪は常に最優先の課題となるのであって、緊急的な自警団であっても犯罪者でないものを殺す悲劇が起きるのをさて、どう防止するか、という話になる。更には犯罪者に対してはどこまで許されるのかという問題もある訳である。

 

警察は被害の回復を担当する組織ではない。またNPOがケア中心に活動している人は沢山あって、被害者のみならず、加害者の家族、そして加害者まで、ケアをしてゆく事は重要な活動であろう。

 

決して犯罪行為がなかった状況に戻す事はできないから、故に犯罪者は必ず罰せなければならない、というのが心情になる。だから犯罪は予め防ぐ方が望ましい。災害時に警察機構が崩壊して状況では、だから自警団などが自発的に活動を開始するのは当然である。これは基本的人権の一部を構成するであろう。

 

さて、だから堂々巡りによって何度やっても我々は福田村事件に戻ってしまう訳である。酒瓶を盗まれた程度ならまだ将来の笑い話に出来るかも知れない。だから殺して土砂の中に捨ててやったべ、百年は土ん中だ、も笑い話であろう。

 

火事場泥棒が盗むのはモノだけではない。あなたの心、かも知れない、ずたぼろにされるかも知れない。決して逃げ得をさせてはいけない。

 

そんな犯罪者とどう取り組むべきなのか、現行犯なら相当の暴力で取り押さえる必要がある。その結果、死亡、障害は仕方がないと思う。そして確保したら繋いでおく必要がある。もし逃げて再犯したならそれは共犯に等しい。

 

では檻の中であれ地下室であれ、どこかに監禁する必要がある。さて、水は少ない、食べ物もない。どうするよ、という会議が開かれる訳である。布団もなければ、暖房もない状況である。数少ない水を本当に分けて与えるのか、ただでさえ少ない食事を分けて与えるのか。当然否であろう。ならば火事場泥棒は餓死しかたなし、は仕方のない結論となる。

 

だが捕まえられる状況なら良い。強力な武装勢力として侵入する可能性もある。メキシコやエクアドルで起きているのはそういうものだ。政府は命がけで頑張っているが、金を背景にした武装勢力は強力である。この世界には正義よりも金を選ぶ人間は幾らでも発生する。そういう状況で被害者の泣き寝入りをほっておいていい訳がない。

 

でも答えがない。結局、その地域毎に防衛システムを構築し、どうやって冤罪が極力起きない状態を作り、犯罪者と対抗するかという問題になる。当然だが、火事場泥棒は県境を超えてくる者たちばかりではない。隣家の人が豹変する事は十分にありうる。人間の心理は恐怖に脆い。

 

だから災害からの復旧は急ぐのが望ましい。だから救助のために自衛隊,警察,消防,ボランティア,NGO,NPOなどが早く入り込む、自発的に安全な集団を形成し対抗する為である。

 

しかし半島であり道路も分断されている状況で、犯罪者も絶えない。自動車ならばNシステムなどにより追跡可能であろう。現在技術を十分に活用する事で、仮に犯罪が防げなくとも必ず事後に逮捕する、という意気込みに燃える警察官たちも頑張っていると思う訳である。

 

半島だからアクセスが悪いという話を聞くと、朝鮮戦争時の南軍、北軍はどうだったのかと思ったりもする。半島で彼らは戦争をしていた訳で、元来、半島の文明と言えば、西にローマ、東に朝鮮であろうか。

 

半島は入口が狭いので陸からのアクセスには限界がある。しかし海には開けているので、船からのアクセスが可能である。ふたつの代表的な交通網を持つ点で、大陸とも島国とも異なる。

 

能登の人口は7万人程度と聞く。倒壊した家は1万を超えるらしい。しかし死者250名、行方不明250名、今の所1000人は超えない見込みであるそうだ。

 

最初に地震と聞いた時には、倒壊家屋が多く72時間以内に探し出さないとやばいと思った。だから初動は一秒二秒さえを争うと考える。半島をメッシュ状にし、自衛隊や警察、消防などに担当地域を割り当て、三日程度で早急に被害状況を把握する。

 

自衛隊にはバイク部隊もあったはずだし、ヘリコプターやドローンも活用して、陸と空から、被害状況の把握し、次に救出部隊を送り出す。そういう行動によって、道が分断されていようが、港が上昇していようが、部隊を送り出すだろうと思った。

 

この最初の動きはどうも間に合わなかったと思われるが、実際の被害、初期死亡者の少なさ、倒壊した家屋に対しての行方不明者の数も圧倒的に少ない。状況的には311に近いと思ったが、どうやら違う。生き残った人が多いのである。

 

だから初動の救出から、その次の春までのサバイバルに活動は推移する事になる。被災者へのケアが重要という点、これから冬が本格的に始まるために居住区の拡充が急務。春になって初めて本格的な復旧を目指す事になるのだろう。今は3月までを如何に乗り越えるか。テンポラリで構わないから、早く日常の生活に戻す必要がある。

 

2020年頃から数回に渡り震度6級の地震を起こしている。およそ震災に対しては地盤も脆弱だろう。今は建っている家屋も次の震度6でどうなるかは分からない。ではどうするか、これに解決策もアイデアもなく、最終的に本人の選択と幸運に託すしかない。とはいえ、家屋の修繕詐欺、悪徳商法まで出回っている状況である。こういう悪意の人間をどうするんだという課題にはやはり死刑が手っ取り早いし確実だと思う。

 

次の地震で倒壊しても構わないから元の家に戻るか、ホテルなどに一時的にも避難し春に向けて準備するか。するとまた前の話に戻る訳で、その間に留守にしている家屋への泥棒などをどう排除するのか。ここで殺さないという選択肢は近代国家としては正しいが、それが被害者には泣き寝入りしろという意味なら、我々は火事場泥棒の共犯者である。

 

有効な現実に取り得る手段を提示できない無能ならやはり我々は共犯者である。殺せばいい程度で寄り添っている気の夢想家もやはり共犯者である。殺すなど問題外と批判する人もやはり共犯者だ。無視・無関心も共犯者だ。だれもかれもが共犯者の側に近い。

 

これをどうするんだという話は復興に向けてという話に持ち込むしかなさそうである。すると今度は限界集落をどうするかという問題が発生する。いま再建した所で20年後いは廃村になる可能性がある、さてどうするんだ。

 

最終的にはそこに住む人の問題であるが、単に居住区の問題なら村ごと引っ越しも可能だろう。しかしそこには田畑があり、山林がある。里山という人間が手入れを繰り返してきた自然がある。放棄も答えのひとつだし、残りたいも答えのひとつだ。およそ農耕民族の本能だから、その意志は何より尊重される。

 

とはいえ、電気、水道、ガス、道路などのインフラ整備の予算も無尽蔵ではない。無限に予算は投入できないが、しかし、里山の維持にも価値はあるはずなのである。

 

こうした難しい問題を能登地震が突き付けてくる。未来をどうするか、問題をどうするか、悪人をどうするか。

 

結局は回復に向けてのサイクルを確立する事、問題を解決してゆく、問題を認識してゆく、今の問題を解決したら次の問題に取り組む。こうしてサイクルでやってゆく。これを能登の人たちに託すしかない。託す以外の何もない。

 

そこに居る人たちはみなこの物語の主人公だ。