高圧的言動、たびたび物議=「最も地元に貢献」評価も―谷川議員

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政治家の本懐は、社会保障、労働環境、企業誘致の3つ。困っている人にとって政治家は最後の希望となるし、時にカリスマ性を帯びれば一国を手中に治める。政治を失えば、メキシコのような非政府営利団体、麻薬カルテル、しか頼れない状況に追い込まれる。そこでは人間の最も醜い部分を見る事になる。

 

地方経済が政治家に求めるものが緊迫している。今の経済モデルは税金の分配であり、故にそれを持ちかえる事は国会議員にしかできない。だから議員と投票行動の間には密接な結び付きがある。民主主義には利益誘導の側面が間違いなくある。

 

目先の利益に為に議員を選ぶのか、長い目でみて利益となる主張をする議員を選ぶのか、たとえ町が廃れてももっと広い価値観で議員を選ぶのか、その選択が市民には託されている。

 

故に、国会議員の基本形を歴史に求めるなら地方豪族になる。風と雲と虹の平将門などはその典型例であろう。もちろん、議員は弁論の士であるから弓矢は持たない。そこで声の大きさがものをいう。

 

強く言う者が説得力を持つ、そういう人は面倒であるほど力を持っているように見えるのは世の常だから、声がでかく、肝が据わって、子供のお使いではないのだから良い返事をもらうまでは帰らないと粘る人が、結局は求められるのである。

 

舌切り雀でも大きなつづらを貰うにはそれなりの交渉事が必要なのだ。はいはいと小さなつづらで満足するようでは現実は難しい。

 

若い時に頑張って頭角を現し地元への貢献も大きな人が国政に出ようとするのは自然な流れだろう。武将は最後は京都を目指したのと同じだ。「錦を飾る」は中央で成功する成功モデルとして世に行き渡っている。

 

とても有能な人が有能であるから国政に出馬する。人々の後押しもあり、日本の民主主義において、中央に出るとは、国家のため、そして、地方に利益を分配するため。地方分権とは中央が集めた税を地方に分流させる仕組みであるから重要なのは額である。中央で交渉してどれだけを持ち帰るかに国会議員の力量は帰結する。

 

およそ、中央から持ち帰るというモデルだけでは足りない。本当は独立する気概も必要なのである。中央と対立する、中央に反旗を掲げる。そういう繰り返しが歴史であったはずだ。

 

強く見えて、ただ従順な人というのがいる。権勢を張らねば倒れてしまうのだ。浜田幸一は暴れん坊と国内では呼ばれたが、その主張を聞けばアメリカにもし呼ばれたら直ちにパンツを下すとしか言っていないのである。将門は独立を挑みそして敗れた人だ。どちらも野心には違いない。

 

地方の成功から国政に。一度手にした権力は手離せないから、時間が10年、20年とたてば、地元の仲間たちは世代交代してゆく。自分だけが先頭を走っている気になった時代遅れは世の常であろう。次第に方法論の違いが顕著になる。その変化を忠告する友は既に後進に席を譲っている。

 

国会議員と言えども一地方の権力者であるから、中央では丁稚のように走り回る身である。地元に戻れば当代随一の権力者も中央では犬扱いの屈辱も味わう。だから故郷はいいなとしんみりと感じる。

 

その結果として何年も続けていれば、その人の持っている資質、性格だけが残ってゆく。どのような好ましい性質も、長く続けば悪癖になる。若い時の従順さや素直さは老齢になれば優柔不断、無関心。熱血、強引も老齢になればハラスメント。議論好きも老齢になれば嫌味。

 

如何に老いるかについて政治家は余りに無頓着である。権力と言う蜜が老いを目くらますからか。常に後ろから追い駆けられている者たちは止まれない。常に闘争の中に身を置くから精神は若く感じる。しかし脳の機能も知識も刷新していないのだから、古くなるのは避けえない。心持ちだけが若いはおよそ迷惑である。

 

越後屋というのを単純な悪と描き悪と演じてきた日本では、勧善懲悪を本当に単純にし過ぎている。これがこの国の市民の単純さであろう。そして演じる側も自分が越後屋とは思いもしないのである。

 

年寄りとは本来は群れを守るために捕食者の前でひとり群れから離れて逃げるための個体である。若い個体を逃がすために、その役割が自分に巡ってきた。そのような老い方をする集団がいる方が生き延びる確率が高い。だからそのような進化をしてきた。

 

金を集めて貢献しても心から望んだ大臣には登用されない。それは無能とか有能とか能力の問題でもなければ、嫌われていたとか舐められていたとかの人間関係の問題でもない。最初から人たらしの安倍はパシリとしか見ていなかった。それを本人は最後まで気づいてなかったのであろうか。その健気さとそれが70超えた老人の生き様なのはほぼ文学である。

 

この人だって根はいい人のはずだ。敵に対して厳しく攻める人は身内には優しいものである。だから敵と味方でしか判別できない単純さが老齢によって際立つと、多くの人は表面だけの付き合いになる。そうしてこの人の側から去っていった人も居ただろう。そういう人が友ならば、今も残念であろう。