自称・秋田県南馬宿村役場が「村八分になってしまったら」というページを公開? 県は「存在しない村」と否定

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釣キチ三平の作者の手になる漫画によれば、確か、ふるさとだった思うが、村八分でも葬式と火事だけは共同して事に当たったという。

 

もちろん、それを放置することは、村全体の存続に係る事だからである。

 

そういう妥当性を考えれば、当然だが、村八分とは、付き合いを止める程度のものであって、それは、村の共同資産への権利をも失うという事であって、例えば、山林であったり、水利などの一部は権利を失うものであったろう。

 

そのような状況に陥るのは、当たり前の話だが、彼らの存在が、村全体の存立に脅威だからである、そう感じた時であって、それは近代以降の、好き嫌いとか、有力者に敵対したとかいうような、子供じみた話ではないはずである。

 

本来、村八分を行使しなければならないほど村は脆弱だったのである。控えめに付き合いを止める事で、村からの立ち退きを要求したわけで、これを強制的に排除できるなら、裏山でこっそりと殺す方が合理的である。

 

そういう例もないはずがないが、村八分は、そこまではしない、と見做すのが妥当だろう。つまり、ある条件が満たされた時点で村への復帰が許されるという意味合いが強かったはずである。

 

記事にあるような

ライフラインの寸断:ライフラインは集落の所有部ではない。これを勝手に寸断するならば、これは重犯罪(いまならテロ行為)であるはずである。

無視:これは本来の目的である。

郵便物の不着:これも当然犯罪である。個人所有に対する侵害であり、郵便事業への妨害も含まれる。 

 

など、記載されている事を許すとは犯罪行為を許可するかのという話であって、これを一地方自治体に許可できるのか、それを後押しするとすれば、あきらかな憲法無視、かつ、地方自治体法への違反であり、独立の意志ありと思われても仕方がないはずである。

 

身に覚えのない罪を着せられる、というのは明らかに警察をも巻き込んでの犯罪行為である。警察さえもだまそうとしたのであるならば、たぶん、かなり重い犯罪、司法への挑戦である。

 

農作物に除草剤をまくなども明らかな犯罪である。それを恐怖の一言で済ますような地方自治体が存在するなど信じられないのである。

 

いずれにしろエスカレートした仕打ちがあれば、当然ながら相手からのカウンターを覚悟すべきで、現代科学を使えば、例えば誰かの畑を汚染して数年間以上、使い物にならなくするくらい、 簡単に実現できてしまうのである。

 

そういう報復までを考えるならば、当然ながら、村八分の中にも、当然ながらマナーがあり、共同体としての穏健な解決というものが図られてきたはずなのである。

 

特に狭い国土と厳しい自然に晒されてきた日本はそういう傾向が強いと思われるのである。

 

どちらせよ、犯罪行為というものを許容する風潮、それは仕方がないよねと思う心性が日本人の根本にはあって、それは結局は近代国家を成り立たせる近代法というものへの理解が足りないのである。

 

我々の常識のほとんどはヨーロッパではなく、江戸時代のそれとつながっている。