原発派遣の自衛官 車盗み逃走

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詳しくは詳しい人が解説するんだろうけど、勝手に思うに軍隊なんてものは一人二人が脱走した所でどうにかなる組織じゃない。戦闘状態に入れば負傷者が出るのは当たり前(前提としてある)だし、その程度で機能しなくなるようでは軍隊として成立しない。

 

では何故え脱走や敵前逃亡が死刑になるほどの重大な事項かといえば一人二人が逃げ出した途端に全員が逃げ出す事を恐れているからではないか。

 

wikipedia の脱走の項によれば以下のようにある。

軍事的に半数の損害が出る事を全滅というのは、近代以前においてそれほどの損害が出れば脱走が相次ぎ部隊が自然消滅してしまったからである。 

 

近代以前においては普通にあった事が近代以降は許さない。戦線を保つには強靭な意志と鉄則が必要ということだろう。しかし、それでもアメリカをはじめ脱走兵がいない軍隊などこの世にありはしない。

 

今、自衛隊は平時に10年かかっても身につかないような経験を積んでいるかと思う。同様に東電は、今、世界一の能力を得ようとしている。東電と組んでいる企業や組織も同じだ。破滅しかかっている4基の原子力リアクターを正常に戻そうとする経験は、世界のだれもやったことの経験である。

 

チェルノブイリの時に、指揮を執った人が手さぐりの中から多くの希望を生み出したのと同じように、いますごい勢いで経験を積んでいる。

 

その一つ一つが世界で共有されるに足るものだし、経験していない者の追随など決して許さない。そういうものがあるという事は、この経験がどれほど数多くの犠牲の上に成り立っていようとも、新しい活力の芽を生み出すはずだし、出さなければならないと願っている。

 

この脱走した人も、まぁ、そんなに責めるな、というのが正直な気持ちだ。日常的にもけっこう脱走というのはあるらしいのだが、恐怖からの脱走というのは結構、ズシンとする。小説にできるよ、これと思う。

 

それとともに、危険というものに対しては、如何に知識を得ようとも、一人ひとりでリミッターの設定位置は異なっているだろう。あと、決定的なのが、戦友の存在じゃないかと思う。

 

自分ひとりでは逃げ出す所でも戦友がいるから、というのはあるかも知れない。一人では出来ない事でも、出来る場合がある。

 

だから、後ろにいる人は前面に出ている人達を可能な限りバックアップしなきゃいけない。つまり、心は常に前線の戦友と共にあれ、という事じゃないかな。


これを突き詰めると、先の戦争中の気分高揚と重なりそうだ。