田中防衛相 また知識不足露呈

www.sangiin.go.jp

 

政治に関するコメントはどれもこれも素人の寄せ集めであるから読むにも耐えないものが多い。それを何故かと問うてみれば現在の政治家というのはみな素人であるからだ。

 

そんな事も知らなくて防衛大臣を出来るんですかと詰問するなら、それを問うた人にも同じ言葉を返してみればいい。

 

もし専門家がいいなら、自衛官に大臣をやってもらえれば十分である、軍部大臣現役武官制も再開しましょうか、という話だ。そういう帰結をしない知能に用はない。

 

古来から政治と呼ばれるものだけはプロフェッショナル化しなかった、これはとても大切なことに思われる。この世界には選挙のプロはいても政治のプロなどいやしないのである。

 

それは聖徳太子の時代からそうだろう。平安時代の政治のトップというのはお見合いのプロであったし鎌倉、室町は武士の総大将であった。徳川の時代でさえ組織だった治世を行ってはいたが老中は臨機応変に多様な人材で埋め尽くされている。

 

基本、政治とは素人のトライアンドエラーである。それが証拠に、この世には政治家にだけは資格がない。学歴も資金も年齢も関係なく誰でもなれるというのが大前提である。現実にそうすると冷やかしが湧き出て収集つかないのである程度の制限はしているが。

 

だからと言って素人の目線でというのを政治家に求めるものでもない。素人の目線などという人に碌なのはいない。そうではなくて、知識などなくとも読解力と決断力があればよろしい。


多くの意見に耳を傾けながらも決断する能力があればよい。なぜなら政治家の仕事は選択する事である。分からないことは教えてもらえればよい。そのために専門職である官僚が存在する。それでも駄目なら専門の研究家が教育機関には腐る程用意されてある。

 

そして専門知識だけで判断しないこと、ここが重要事だ。防衛大臣と言えども防衛の観点からだけ判断するのであればそれも官僚だけにやらせておけばよい。だから軍事行動に関しては前線の事には口を出さないのが基本的な約束事になっているだろう。統帥権である。

 

官僚の主張と併せて他の情勢、時勢、形勢それを把握して総合力で決断する能力が政治家には求められている。その一点の為だけに大臣は官僚の上に立つ。

 

国防上、鉄道は海岸線を通すべきではない、と主張したのは川上操六である。専門家はそれで良い。それでこそ専門家とも呼べる。しかしそうしなかったのもまた史実であってそれが政治家というものだろう。

 

一方で学者バカ、専門バカという言葉があるのもまた正しい。で、これを調べてみると、Joint Air-Sea Battle Concept、これはAir-Land Battle Conceptとの比較として名付けられたものらしい。

 

つまり空軍支援のもとの陸戦から空軍支援のもと海戦にシフトするという話みたいである。

 

このコンセプトは中国のアクセス拒否戦略に対抗する為に米軍が打ち出した構想らしい。具体的には

 (1) 抑止が敗れて中国からミサイルなどで攻撃を受けたら、米軍はいったんその射程外まで撤退、(2) 体勢を立て直して、海空両軍で反撃

朝日新聞11年1月16日付

 

というものらしい。自分なりに解釈するなら、中国に制空権を取られたら海軍は活動できないので後方に撤退する。その先は海軍だけでは難しいから空軍と一緒に再攻略を目指します、という話しに見える。

 

問題はどこまで撤退するのかという話しで、雰囲気では日本は取られた前提に見える。つまり日本の空軍海軍は壊滅済みであって、もし健在であれば日本国内から再攻可能だし、このような状況に陥らないんじゃないか。

 

この戦略は日本陥落後のシナリオであって例えばオーストラリアとか南洋諸島まで撤退した後の再攻略の話だと思うのだけど。基本的には中国とどこまで対抗できるか分からないから駄目だった時はどうするかを考えておこうよ、という話に見える。

 

これは誰が見ても当選の話しであって、駄目だっとしたらこうなる。だからその場合はこういう妥協や損失は受け入れる。その上でこういうシナリオが用意できる。それが嫌ならこういう風にする。云々、これはアメリカが米軍の運動について考えたものであろう。

 

その理解は必要だが、検討し始めたばかりの話しであって彼らだって決定事項ではないはずだ。まだコンセプトの段階である。撤退はどのラインまで有り得るのか、日本かハワイかオーストラリアか。


日本は最初の防波壁だからアメリカが撤退すれば自衛隊は単独で守衛する事になる。今の装備で大丈夫だろうか、米軍の反攻は何日後であろうか。その時は中國大陸への上陸戦もやるのか。もし日本に上陸されていたら反攻はどこまでやるのか、それとも講和を目指すのか。

 

シナリオなんて仮想戦記よろしく幾らでも思いつくものである。

 

米軍においては装備の変更は関連する企業も方向転換するからそれなりのビッグニュースである。併せて日本の防衛体制も変わるであろう。でいつの予算から?来年、再来年?

 

昨日今日の防衛大臣が知っていて何の嬉しさがあるのか。実務家で話し合いが始まったばかりではないか。今の時点で詳細を知らなくとも特に問題があるとは思えない。


普天間基地の固定化の方がよっぽど目の前の大事だ。大臣が深く知識のある人で嬉しいのならそれは単純な自己満足である。うちの大臣は物知りでしてと誇りたいんなら池上彰でも大臣にしておけ。

 

大臣など毛利の殿様よろしく8割はそうせいと言っておればそれでよろしい。いつから国会は試験会場の場となったのか。

 

政治家に求められるのは、判断をするための健全で活発な常識である。常識の力で考える能力である。それは市井の人が誰もが持ち、日々使っているあの力である。

 

民主主義は国民が持つ常識の力に全てを託そうという制度である。だから政治家は常識さえ持てばよく、市井の中の誰かがすべき職業なのである。