「前提崩れた」名護市長、辺野古移設見直し要求

普天間飛行場は沖縄が日本に返還される前から存在していた。

 

米軍がここに基地を置きたいと言う。そこで日本の答えは以下のようになる。

⇒ Yes Or No

 

YESには常に条件が伴う。だから

⇒ NO+条件 = YES

という式が成立する。

 

で日本政府としてはNOという返答はないから条件に関する対話となる。所であらゆる条件を拒否する沖縄としては上記等式は成立しない。

即ち問答無用

 ⇒ NO != YES

という立場である。

 

この二つの連立方程式を成立させる条件Xは存在しない。だからどうなるかと言えば、現状維持である。この矛盾を如何に解決するか。

 

沖縄の基地問題に最も近づいてコミットメントしようとしたのは鳩山由紀夫であった。このとき沖縄はもっとも期待したと思うが、彼が劣勢となったときの行動はその沖縄問題を決定的にしたと思う。

 

乃ち、後から鳩山由紀夫を攻撃する側に寝返ったとさえ言える。鳩山と共に最後まで戦った人がどこにいただろうか。

 

日本中が鳩山由紀夫を無能の極致と理解した時に、沖縄には手のひらを返した。ここまで頑張ってくれてありがとう。わかった、県外さえ難しいのは分かった。で、見返りは?

 

これだけでもう黄金の市役所でさえ建設できていたはずである。

 

さて鳩山由紀夫という人は民主党政権が立ち上がった最初の一歩でこの難攻不落、陥落不可、敗北必至という問題を取り上げた。

 

一年目である。


戦場であれば斥候を出し情報収集に務め自陣を強固にすべく要塞を作り、敵の出方をよく検討する、そうすべき時期だ。そのような時に彼は全軍を率いて突撃を命令したのである。

 

敵の待ち伏せはどうしますか。正義は吾にあり、国民の支持でねじ伏せて見せるわ。状況はまったく分かっていません。なになに、勝利は吾にあり、それ突撃せよ。

 

すると案の定泥沼に足を取られ、応援していた農民や足軽までが、ああこりゃダメだ、と見切りをつけた。沖縄とはそういう問題なのである。

 

誰か止めれるものはいなかったのか、組織としてどうなっているのか、と難詰されても仕方がない。「どうして止められなかったのか」検証に値する話だ。これは歴史の必須である。


如何なる理由があれ、これは無能の証左として後世に残る輝かしい業績である。それでも過去の政府においてもっとも沖縄に近づいた者という事実も忘れてはならない。

 

この事例から確実な成功が見込めない限り、基地の県外、国外移設は誰も口に出来なくなった。交渉のカードの一枚として使うことさえ国内事情により出来なくなった。県外移設を盾にどれだけの利益を分捕って来るか、が現実的な話だと思うが、それすら難しい状況になった。

 

つまり沖縄は自らあらゆる戦略を捨て中央突破、一点攻略、正面突撃のみを選択したに等しい。沖縄米軍基地が永久にある、という前提は成立しないのは自明であるが、では100年の計を立ててみようではないか。という意見さえ聞こえてこない。

 

普天間が移設するための条件は勿論、沖縄にはない。米軍にある。この条件は、ある程度考えれば日本側でも理解できるものであるが、基本的にはアメリカから提示するものである。選択の自由はアメリカにある。

 

日本政府は県内移設という案を提示した。これを沖縄が拒否する限り、普天間飛行場は継続して使用される。アメリカは自分たちの条件に合致するなら何も問題はない。すなわち普天間飛行場は継続して使用される。

 

沖縄は基地負担を減らしたい。だから県内移転には反対する、その上で普天間飛行場の廃止を訴えている。即ち、何も変わらない。普天間飛行場は継続して使用される。

 

そしてもちろん中国政府は普天間飛行場の県外移転には賛成派であろう。沖縄としてはもっとも手を組みたい相手である。いっそ沖縄は中国のものになるか。これは一つの案として考慮するに値する。


ただし米軍基地が人民軍基地にリプレースするだけであまり嬉しい未来はない筈である。地政学の要求から世界には幾つか争いの場とされる場所がある。そういう不幸と向き合うしかない地域がある。そういう意味では沖縄が学ぶべきはヨーロッパやアフリカの紛争地帯であろうか。

 

世界で一番危険な飛行場と言われるがこれは正しくはない。飛行機に乗っているのは彼らであって彼らも死にたくはないはずである。その巻き添えを食っては敵わないと言うが飛行場があると知りつつそこに建物を建てたのは沖縄である。

 

米兵による事件が起きればこれは厳しく罪と問う必要がある。これは国内問題ではなく国際問題で訴えてゆく必要がある。

 

全員でNOのシュプレヒコールの中、YESの方向に歩いているように見える。それにしては効率が悪い。人の感情はかくも強固である。