Yves Couder French physicist

ガンダムの設定で中心となるのがミノフスキー粒子。なんでもこの粒子のせいにする事でお話が通用してしまうものであるが、さて量子力学である。

 

勿論、その物理学が分かるはずもなく、量子物理学者の周りに落ちてる木切れで遊んでいる子供のようなものではある。木切れを拾っては勝手に妄想を膨らませている様なものだ。

 

量子論の主流はコペンハーゲン解釈とされるが、それと双璧をなすものがパイロット解釈である。と飲茶も書いている。

パイロット解釈 - 哲学的な何か、あと科学とか

 

参考:ネット上の二重スリット実験トンデモ解説

 

現在では更に進めて量子力学情報理論、数式と実験のマッチングとして扱い解釈いらないと言う考え方もあるそうである。良く知らない。

 

コペンハーゲン解釈は、例のあそことこちらに同時にあって、観測したらそれが確定する、と説明するが、これをイメージするのは物理学者でも難しい。どうもそうらしいの枠を外れない。

 

量子力学は、この数式を使えば、この現象が予測できる、つまり説明できたという物理学である。そうなる理由の説明は行わない。力の働き方を数式化するが、その力が何によって生ずるのか、どうしてその働きが「無」の中にあるのかの説明までは行わない。

 

坂道からボールを転がせば、こんな感じの運動をするよという予測をする。時に、目の前の壁を超えて向こう側に行く事もあるよと予測する。それは実験してみたらその通りになる。

 

物理学者だって全てを知っている訳ではないので、言葉にするのは難しい。モーツァルト交響曲を聞いて、それを言葉で説明してよ、と言われても難しいのに似ている。楽譜を見てね、沢山のCDを聞いてね、と同じようにこの数式を解いてみようとなる。

 

モーガン・フリーマンが語る宇宙(Discovery):Through The Wormhole With Morgan Freeman Season 2 のたぶん #7 How Does the Universe Work?で "Is There an Equation Of Everything" の面白い実験を紹介していた。

 

フランスのYves Couderと言う人の実験だが二重スリット実験の可視化という感じ。この現象を説明するために、二つのスリットを同時に通るのを振動させたシリコンオイル(Silicone Oil Droplets)の上にシリコンの粒を作り出し、これを波動と粒子のモデルとして動いた時の振る舞いから二重スリット実験をマクロで再現させたものだ。

 

Yves Couder . Explains Wave/Particle Duality via Silicon Droplets [Through the Wormhole] / Silicone Oil Droplets showing quantum like interference

www.youtube.com

 

Is This What Quantum Mechanics Looks Like? | Veritasium

www.youtube.com

 

説明ではこれはパイロット解釈を肯定する実験であるとの事だ。だが、パイロット解釈は数式化が難しい。イメージしやすくても数式化できないと絵に描いた餅である。

 

さて妄想タイムに入ろう。

 

エネルギーは波動として振る舞う。この波が幾つか重なりあえばある閾値を越えた時、そこに粒子のようなものが出現する。それが維持され続けるならば、その粒子は波動の中で粒子として働く事ができる。

 

オイルを塗った床の上を滑るイメージである。エネルギーが足りなくなれば、消滅してオイルの中に戻ってゆく。

 

粒子は波の重なりで生まれる濃淡の濃いい場所に出現したものとイメージする。この粒子がエネルギーの海に戻らずに塊のままでいるためには、粒子が波と同調して固定化される。

 

逆にこの固定化されれば長く粒子として存在する。それが原子、分子という形にまで固定化される。固定化が強い程もとの波の影響は小さくなってゆく。一粒の粒子に戻った時には、波の影響が大きくでる。調度重たいものは風の影響を受けにくい感じ。

 

という粒子の想像を膨らませている。

 

しかし粒子と呼ぶが、そもそも原子はすかすかである。マツダスタジアムにおいたゴルフボールみたいなものである。それが粒子に見えるのは、電磁気力で重ならない、反発する、距離を保つというパントマイムをするからに過ぎない。

 

すると粒子性という粒の性質は反発の中に求められる気もする。すると粒子と空想しているものは真空を空想しなければならないはずとなる。見る事が出来ないものは光子を生み出さないに過ぎない。

 

我々にとっての存在は電磁気力に依存し光子の有無に依存する。神が光あれと語ったのは凡そ電磁気力の発生である。その前に弱い力、強い力があったはずである。つまり我々の神は所詮は電磁気力を統べたに過ぎない。

 

すると重なりを拒絶した波動とはどういうものかしらんとなる。

 

というような妄想を膨らませてくれるコンテンツは常に正しい。