東名逆走13キロ、91歳「ドライブしていた」

東名逆走13キロ、91歳「ドライブしていた」
(読売新聞 - 10月11日)

 

一方通行を知らずに入ったら、自分が逆送とは気付き難い。道路に掛かれた案内表示で気付く可能性はある。他の人が指摘してくれる事もある。一方通行を走った事のある人は多い筈である。広い一般道で4車線と気付かず片側二車線側に入って逆走する事もある。

 

所が高速道路である。高速道路で逆走すると言う事は、幾つかの点で合点がいかない。

 

ひとつに、高速道路であるという認識があったか。料金所システムを通過するはずである。それでこの間違いに気付かないとは考えにくい。もし高速道路の認識がなければ、逆走している車があったとしても危険とは考えないだろう。

 

しかし、どうやって侵入するのか。高速道路は逆走しにくい合流構造になっている。T字で接続する事はない。そのために逆走しようとするなら大きく不自然に曲がらなければならない。高速道路でその認識はありえない。

 

逆走しているなら走っていた車線も重要になる。左側走行なら対抗側は追い抜き車線になる。エネルギーは最大である。もし右車線を走っていたとすれば問題は更に根深い。

 

自分が走っている道路が高速道路であるかは分かりそうなものである。人類が滅びた後の町ならいざ知らず、入り口があり、右側に反対車線があり、道幅も違う。

 

もし高速道路という認識があって逆走したとしたら、どういう間違え方があるのだろうか。どのような思い込みがあったのだろうか。自分の進行方向が正しいと考えたのならば、逆走してくる車は近頃は危険な連中が増えたなぁという会話になる。

 

いずれにしろ、危険なのは逆走ではない。自分が気付けなくなっている事に気付いていない事だ。

 

気付かなくなるのは何時か誰もがなる。それでも気付けなくなっていると認識していれば、慎重にもなろうし、確認もするだろう、そこを疑っている間は合理的と思える。信じ込むようになってはダメだ。

 

覚えきれないのであればメモをする、携帯電話で自分にメールする、手帳を持ち歩く。覚えられなくなっても、それを補助する道具がある。それで人間は外部記憶を活用してきた。

 

覚えられなくなったと認識できなくなったなら、打てる手は少なくなる。だが、覚えられなくなったと認識しているのに、なんら手を打っていない場合が最も打つ手がない。

 

一方通行を逆走するように高速道路を逆走する、これはあるかも知れない。何重にもあったはずの違和感がスルーされたのか、それとも、これは逆走しても仕方ないよ、という道であったのか。高速道路は一方通行という事さえ忘れたか。

 

およそ記憶の落ち方はまちまちなのだと思われる。